日記

SIGN

15年程前、NewYorkで、ギャラリーを廻り、プレゼンテーションをしていた折、唯一オーストラリア系のギャラリーが興味を示してくれた。

「よく理解出来る。」言葉少なく、ディレクターが、共感を口にしてくれた。彼は、ギャラリーの奥から、分厚い画集を抱えて来ると、テーブルの上に開き、言った。「これは、アボリジニのドキュメントだ。知っているか?」私は、その数年前に、大阪の国立民俗学博物館での研究展示を見てアボリジニについては、多少の知識があった。

アボリジニは、オーストラリアの先住民族だ。彼らの歴史は三万年とも四万年とも言われている。彼らが、伝え残してきた文化は、図像と彫刻として現在もその生命を伝えている。それは、色とりどりのドットで、稠密に描かれている。細かな線刻もあり、かなりのリアリティを覚える。内容は、主に地図らしく、具体的に読み込めるらしい。動物の透視図のようなものもある。人や動物、植物が、特徴を逃さず表わされている。手形がそのままトレースされてもいる。

「君の作品には、彼らに通ずるものを感じる。」「アボリジニには、モンゴリアン*サインもあるようだしね。あなたにもあるんでしょう?」ちょうどギャラリーにやって来た女性も会話に加わった。彼女は、オーストラリアからやって来たばかりの画家だと言った。

「蒙古斑て言ううんだ。大人になると消えて無くなるのだけれど。環太平洋には、大昔からモンゴロイドが住んでいるようだから、アボリジニにも、何か親近感を感じるよ。」私が、女性に挨拶をしていると、ディレクターが話し始めた。「世界的に見ると、洞窟や聖地など特別な場所に絵は残されている。それらは、約二万年以上前に遡れる。描き方には、共通点も多いから、今の僕らよりも世界観には、ある共通性があったのかも知れない。」

幾分、学者肌らしいディレクターの口が滑り出した。
「手形は、大抵の壁画に残されている。描いた人。その人物が其処にいたという強い主張を感じないか?僕は、生々しいものを感じるんだ。絵の具に酸化鉄の赤色と白い泥を使う点も世界中、共通している。

絵画は、現在では、四角い画面に描かれることが当たり前になったが、初期においては岩壁に描かれるものだった。凹凸のある岩壁に描かれた絵画は、彫刻とも絵画ともジャンル分け出来ない。それは、その場が、彼らにとってとても重要な場所だということをシンプルに表している。

現代の僕らは、たいていのものをジャンル分けして扱うだろう。しかし、人類は、長い間、生きることをひとつとしてきた。毎日の生活そのものが、信仰であり、芸術であり、哲学であり、科学でもある。先史時代のARTは、僕らにそのことを教えてくれる。世界中の壁画に残る手形は、ひとりの人間が、確かにその時、そこにいたという存在のサインなのだろう。僕には、いのちの輝きが、宇宙に響いているように思えてならない。」

「現代では、ARTを装飾品としてとらえるでしょう?あるいは、ゲームかも知れない。私は、ARTは、人間のいのちの存在証明なのだと思うの。NewYorkに来て、より一層そう考えるようになった。」女性画家は、そう言って、「だから、あなたも、ここに来なさいよ。」とウィンクをして、帰った。

当時、メキシコから来ていた私には、ふたりの言葉に強い共感があった。そう言えば、そこが、深く長い旅への入口だったことを今、改めて、思い出している。

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