日記

A DIOS

「コウジ。ビジョンだ。イメージしろ。そして、プラクティス。繰り返し練習しろ、頭と身体、全部が自然に動くように。」マヌエルは、静かに繰り返し教えてくれた。それは、人殺しの仕方だ。

メキシコはベラクルス-ハラッパ。私は、土地の名士の城塞に部屋を借りていた。私の部屋は、かつて城塞の城壁で、馬丁が住んでいたらしい。

マヌエルは、元・アメリカ海兵隊特殊部隊・SEALの隊員だったそうだ。出逢った当時、メキシコ湾上に浮かぶ海底油田コンビナートの海面下点検の仕事をしていた。深海潜水用の特殊スーツを着用して、真っ暗な海底へ一人潜行する。そんな仕事の中では、常に、希望を胸に行動する。心に灯りを燈し続けていないと、突然のパニックに襲われるそうだ。

「酒でも、女でもイイ。どんな些細なことでもイイんだ。俺には、子供達だったがな。」子供が生まれて、現職に転職したと、言葉を重ねた。軍にいた頃は、荒れ狂う大海に飛び込んで作戦行動することが日常だったそうだ。

「無限の中にダイブするのは、慣れないものだよ。自分が、ちっぽけ過ぎて、頭が、恐怖でいっぱいになる。」身長二メートル近い大男のマヌエルの口から、「恐怖」の言葉が出るとは、思いもしなかった。

「そんな時、プラクティスが、大切なんだ。大抵の人は、自分の意志で、嵐の海に飛び込まない。そんなことをしようと思わないだろう?人を傷付けたり、殺し合ったり。そんなことも考えたりしない。しかし、俺には、それが、毎日なんだ。」そう言って、マヌエルは、ビアジョッキに、ビールとテキーラをがばがばと入れた特製カクテルを手渡してくれた。

「生還の条件は、身体の大きさや知識のある無しではないんだ。技術ですらない。問題は、それをやり遂げようと行動することなんだ。アクションを止めないことだ。ビジョンを持って、鮮明にイメージする。なんとか強い意志を保とうとする。それでも、心は、挫けるだろう?そんな時、何度も練習したことを信じて、身体を動かすんだ。」ジョッキをカンと当て、飲めと即す。

「ほんの僅かな希望も忘れてはいけない。気持ちの良いことをほんの少し持っているだけで、心が静かになる。パニックが、収まる。その隙に、タッチダウンするんだ。」絶対絶命の修羅場を生き残って来た男が、ニッカリと笑ってそう言った。

マヌエルとトレーニングを始めたのは、ふとした事がきっかけだった。私の部屋から一つ置いた隣室で、大音量でロックを響かせて、テキーラを瓶ごと煽り飲んでいる男がいた。巨大な悲しみをどうすることも出来ず自分を叩きのめしている。私は、彼にそんな印象を持った。「済まんな。迷惑なのは、わかっている。」目が合う度に、大男は、そう言った。それが、彼、マヌエルだった。

そんなある日、マヌエルは、ユウジと遊んでいた。「コウジ!マヌエルをやっつけよう!」ユウジは、私とマヌエルの間に越して来たばかりの十歳の少年だ。彼は三人兄妹のまん中、母親の名前は、エヴァ。父親は、ニューヨークでスーパーマーケットを営むビジネスマンだそうだ。エヴァは、三人の男性と結婚し、それぞれの三人の子供を授かった。そして、別れた。

ユウジの父親は、日本人だとのこと。「コウジにユウジ。似ているね!」それだけで、なんだか心が触れた。「日本語が知りたいんだ。」ユウジと私は、英語とスペイン語の入り混じったスパングリッシュとも言うような摩訶不思議な会話を通し、言葉を学び合った。

泥酔のマヌエルと組み合った。弾みで、マヌエルの懐に私の身体が入った。一本背負いが決まり、ふらりとマヌエルが倒れる。私は、すかさず、袈裟がためで、ブロックした。マヌエルが、「む〜ん。」と唸ると立ち上がり、私を首にぶら下げたまま勝負が着いた。

ユウジが、ぴょんぴょんと飛び跳ね、喜んでいる。「コウジ凄いよ!凄いよ!」よほど嬉しいのか、ぴょんぴょんがやめられない。終いに、マヌエルの足に飛び付いて、三人共々芝生に転がった。

「いいか。よく覚えておけ。プラクティスだ。イメージしたことをハッキリと思い浮かべろ。そして、アクションしろ。行動し続けろ。その為に練習をするんだ。」急所や関節技を教えてくれながら、マヌエルは、こうも言う。「こんなものは、本当は必要がない。普通に暮らしていて、俺のようなプロフェッショナルに出逢うことは、まずないからな。もし出逢ったら終わりだ。まずは、出逢わぬように気を付けろ。たいていの人間は、人を傷付けたり、殺そうと思ったりしない。ただ、どうしても必要なことがあるかもしれない。そんな時の為に心掛けろ。万が一があり得ることを覚悟しろ。

常に、自分の周りを見回して、そこが何処なのか。何があるのか。確かめろ。スプーンでもペンでもイイんだ。一握りの砂粒でも埃でも良い。手に出来る物を手にしろ。何も無くても、なんとかなる。絶対に諦めるな。終わったと思ってからが、始まりだ。」

毎日のトレーニングが続いた。マヌエルは、トレーニングが終わるとユウジには、熟れた季節のマンゴー入りヨーグルト・ジュースを、自分と私には、ビールとテキーラのカクテルを大きなビアジョッキに作ってくれた。

「スペシャルだね。」
「スペチャーレだ。」

ユウジが言うとマヌエルが、返した。マンゴーシャーベットをジュウサーで撹拌したものとザク切りした果肉を混ぜ合わせた。それは、文字通り、手間を掛けたマヌエル特製のスペチャーレなヨーグルト・ジュースだった。

「ありがとう。楽しかった。」ユウジを抱き締め、私に握手をし、マヌエルは、「アディオス。(じゃあ、またな。)」と言った。僕は、ニューヨークに行って、パパの手伝いをする。僕も、ビジネスをするんだ。」ユウジは、「アディオス。」の代わりに、マヌエルに、そう告げた。マヌエルは、一ヶ月の休暇を私達と過ごして、海底油田に戻って行った。その二週間後、私もメキシコを後にした。

私達は、時折、暗闇で、道に迷う。
望んで、荒れ狂う海に、飛び込む者はいない。
不幸を生み出そうと努力する人間は、稀だ。
それでも、避けられぬことがある。
誰もが、灯りを胸にしたい。
ほんの細やかな穂の灯り、僅かな温もり。
人は、一人では、生きて行けない。

私は、時折「アディオス。」と口にする。
出逢いの始まりの為に。

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