作品展示

REPUBLC

Republic

Panorama

「ああ、そうか、こういうことになっていたのか。」
目の前に展開する自分の頭部CTスキャン画像が、それを明らかに示している。「これが、隠れ脳梗塞です。現状では、全く問題有りませんが、如何ですか?」「はい。全くその通りです。問題有りません。」私は、深く頷いて医師の質問に応えた。

2008年、私は、独りになった。
その折、様々な症状が、併発、交錯した。それらは、精神的なショックによる極度な免疫力の低下が、引き起こしたとのことだった。全身の痺れと視覚及び言語の障害も併発していたが、やはり、「精神的ショック症状」と言われ、直ぐに通常に戻ると診断された。どうやら、その時に脳梗塞も起こしていたようだ。それから現在迄の四年半、私は、思わず知らず、リハビリの時を過ごして来たらしい。

脳梗塞のリハビリは、それまで無意識にしていた生活行動のひとつひとつを意識することから始まる。これは、自らを「再構築」するということだ。例えば、「歩く」。歩く行動を頭で分析し、もう一度再確定する。足をどのように持ち上げ、どのように踏み出すのか。これまでの行動のひとつひとつを検証して、もう一度、脳から身体中へ、四肢へと指令する。今まで無意識だった行動をひとつひとつ意識化して行う。当たり前の日常生活を再構成、構築し直すということだ。正に私は、ここ数年、自分自身を明確化することを意識してきた。そこから得たことは、「志の再認識」、「自信の再確定」、「健康の再構築」であった。

今、齢五十を目前に、この「気付き」には、リハビリの終了と共に、新らたな生への扉が示されているように感じている。これからの生が、子供達の世代に、それが、如何なる生き方であれ、通底する基盤になるものを、いかばかりでも見付けることが出来るなら、この上ない。今もって無名の存在ながら、改めて、自らの志に精進、前進を誓う思いが深まっている。

山下邸での仕事は、正にその初めの一歩と成った。札幌市旭ヶ丘にある山下邸との出逢いは、1993年、二十一年前に遡る。古くからの友人-山下深雪氏より、「開拓時代の山下家の家屋が残っており、空き家となっている。ここで何か出来ないだろうか?」との問いかけがあり、ここを会場に、1993年に「旅程」、1994年に「声-あたらしい人」のふたつの展覧をさせて頂いた。その折には、お祖母様もお元気で、「お家がきれいになって、夜、灯りが灯ってお客さんがいっぱいになると昔を思い出すね〜。」と喜んで下さった。御家族で養狐場を経営されていた折のことを思い出されての御言葉だった。私にとっては、それまでの仕事を振り返り、新たな課題に取り組む大切なターニングポイントと成った。ものは、それだけで成り立つものではなく、人の生活の中から生まれ、愛しまれるものであることに気付き始めたのだ。

それから、十五年以上の時を経て、再び其処を訪れた。室内では、土壁が落ち、外装も随分と痛んでいた。痛々しい様子に、心が痛み、修復をさせて頂くことをお願いしたところ、快諾して下さった。修復をするにあたって、創建当時の復元方向に向かうことを考えた。また、新たな時間への志向性を含むものとした。修復後に、オープンな利用がされることを考えたからだ。

修復には、丸一年を要した。具体的には、壁体や床などを補強し、展覧会や催し物に耐える強度を持たせた。新建材を剥ぎ取り、出来得る限り、家屋の有り様を読み取り、土壁と漆喰壁などを復元した。表面的には、少々新しい感じはするが、何をしたのかほぼわからない、何処が新しいのか、古いのか判断し難いものとなった。新古が混じり合うところに、時間の連なりが感じられればと思ってのことだった。其処には、歴然とした変化や珍奇さを求めた結果とは、全く異なったものが現れているように思えた。

やがて、近所の子供達や高校生が訪れ出し、ゴロゴロと転がり、「あ〜あ〜。」と伸びをする。この極自然な姿が、この場が持っているポテンシャルを素直に表しているようだ。そのポテンシャルを活かすように彫刻と絵画作品を展示した。リフォームを含めた、あらゆる造形言語を用いて、目には見えない「空気」を設えたと言える。

そんな、夏のある日、突然、お祖母様が亡くなった。持ち主であるお祖母様が亡くなられたことで、状況は急転、お家は、解体が決まった。お祖母様には、是非とも、このお家が、再び美しくなった様子を見て頂きたかった。

以上のこともあり、展覧としての対外的な告知をせずに、自然に出逢う方々の訪れを第一にした。結果、お家に呼びかけられるような気配を感じた方々が来て下さった。場所の持つ何か。それを「場の空気」とするなら、それは歴史や風土の上で、人の紡ぎ出す営みの現れだろう。そして、日々の営みから、歴史も風土も紡ぎ出されていく。私たちは、そうして毎日の生活を築いていくのだ。

展覧中、con.TEMPORARY SPACEを主宰する中森俊夫氏が、幾度も訪ねて下さった。氏は、約三十年以上に渡り、札幌の歴史と風土を川の流れを頼りに活動をされてきた。美術家-岡部昌生氏、川俣正氏、舞踏家-大野一雄氏、詩人-吉増剛造氏との仕事、アートイベント「界川-遊行」による沢山の方々との活動は、代表的だ。私も十代の頃、美術家-川俣正氏のお仕事に出逢わせて頂き、大きな刺激を受けた。現在も、世代と分野を越えた交流を熱く進行されている。

「この家に見えているものを、場所を変えて見直す必要があるのではないか。」氏の問い掛けから、一年後、お祖母様の御命日を挟んみ、御盆までの7月27日から8月15日、「REPUBLIC」と題して、con.TEMPORARY SPACE主催での展覧をすることになった。それに伴い、写真家、竹本英樹氏、藤倉翼氏、横谷恵二氏の三氏それぞれの視点、表し方によって「山下邸」を再見、記録して頂いた。

con.TEMPORARY SPACEは、約六十年前に紳士服店として建てられた家屋を改装して営業されている。下見をしたところ、展示、観覧に適さない破損箇所、脆弱な部分が見受けられた。展覧にあたり、壁体を補強し、階上部にキャットウォークを施した。一階床を黒塗装、階上部に抜ける空間の縦性を強調し、堅固なものにした。

この頃より、リフォームは、私の活動では、基本に成りつつあった。空間全体に直に触れて、空気をつくり始めることが、リフォームという行動に成っていったのだろう。また、階上部の片隅に、端材を組み合わせ、川俣正氏へのオマージュとした。私個人にとっても、中森氏にとっても、氏との出逢いは、エポックとなっていると思ったからだ。以上の改修を基盤に、展示をした。

開拓期の農家の柱と梁を用い、組み合わせ、新たに柱を立て、空間の真とし、自作、土の彫刻を置いた。また、階上部キャットウォークに、牧草を繁らせ、ここにも土の彫刻を設置。会場に入って直ぐ、石混じりの塔を拵え、この上にも彫刻を置いた。

奈良-法隆寺に、「釈迦入滅」として、釈迦涅槃像と羅漢群像の塑像がある。彫刻の始まりに想いをはせ、彫刻の作造は、これに習い土で行った。自作の主題は、「誕生」「目覚め」「覚醒」とした。「釈迦入滅」とは、真逆の主題であるが、真逆であることで、一層通じた意味を持ち得ることになった。空間全体に渡る、それぞれの造形要素が言語と成って、山下邸に垣間見た北海道の歴史と風土に繋がり、かつ、深まり広がって行くことを考えた。山下邸で見え出したものを普遍性に繋げたいと切望したからだ。

写真家-竹本氏、藤倉氏のニ氏には、特別に作った木製フレームに写真を納め、パノラマ映像の横谷氏には、留寿都村黒田小学校に残る古い机上にモニターを置いて頂いた。竹本氏には、氏の八ミリフィルムから写真を起こすスタイルから、軽快なフットワークを想起、自在なステップを切る様に撮影した多数のショットから五十点を厳選して頂いた。藤倉氏には、大型カメラにより、季節の異なる二点を撮影して頂いた。氏の父君も写真家であり、子供の頃から写真に触れてこられた氏の感覚そのものを大判のフィルムに注力、注ぎ込んで頂いた。これらの写真を納めたフレームは、枠組みを木製とし、たっぷりと時間を含め、存在感を重視して制作した。

フレーム制作には、旧知の友人-小林徹也氏主宰の木工房-樹喜舎の協力を得た。フレームの中には、鏡をマットに、写真を封入した。写真が、現在の時間と場所を留めるものならば、鏡は、未来に於いても常に、その時、その場を映し出す。過去から現在、未来へと向かう「時の彫刻」と成る筈だ。

横谷氏のパノラマ映像は、時空を越えて、ネット上に遍在する。氏のパノラマ映像上に示された矢印が、私には、場所や時間を乗り越えて、繋がり合って行く永遠の矢に思えてならなかった。私は、氏のパノラマ映像は、単なる映像に止まらず、「PANORAMA」という総合的かつ、複合的、重層的、ハイブリッドな「知覚の彫刻」と捉えている。

こうした自分を含める四者の交響をコンダクトし、ひとつの楽曲、一編の物語として紡ぎ出すことが、私の一番の役割りだった。多人数の参加する展覧は、単にグループ展であるべきではない。一個の明確な方向性を共有し、それぞれの能力の最善、最良を目指すべきだ。完成した展覧では、それぞれが混然一体となって力強く存在感を示すべきだろう。例えるなら、ソリストが、オーケストラを組み、交響曲を奏でることだろうし、出演者、スタッフ一致協力して一編の映画を制作することに相当する。出来上がったものは、様々な解釈を許容しはするが、太く力強いメッセージを提示することになる。

この展覧の経験から、個人を包み込む大きな枠組みを得、普遍性と向き合う為には、グループワークという可能性があることに気が付き始めた。ただ、一人一人の無私なる日々の研鑽抜きには、グループワークも成り立ち得ない。これも確かなことだ。

「これは、カッコいいな〜。何だこりゃあ〜。いや〜、かっこイイ!俺のところもこうしたいよ。」展覧準備中から、度々来られる一人のおやじさんが言って下さった。近所で居酒屋を営むその方の言葉が、今も、この展覧を代表する感想だと捉えている。通りがかりの方も多くいらして下さった。信号待ちの車からは、たくさんの感心を持って頂いた。なかには、信号が変わったことに気が付かない方、わざわざ、ぐるっと一周周り、戻って、観覧して下さる方もおられた。

この展覧では、芸術という大上段な捉え方の範疇をはみ出して、理解されていくことが見え出した。恐らく、芸術という特殊性が、普段の日々の中にある何かと響き合っていたのだろう。日常の中で生き生きと息づく端緒を垣間見ることが出来たと言えるのではないだろうか。

「響鳴し合いたいのは、何か?、誰となのか?」

分かり始めた。

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