日記

ROOTS vol.2

「絵でも描いたらイイっしょ!」と母。

う〜ん、それを実現したなら、かなり、近所迷惑なことになりそうだ。否、そういうことも、有りなのかもしれない。どうも、この補修工事は、新たな始まりの始まりのようだ。加えて、屋根トタン塗装から、窓枠、外周約物に黒を塗る。きりりと引き締まり、明るさ、鮮やかさが増したようだ。5月31日木曜日、補修作業の全工程を終了した。

「明る〜い。」
スケートボードの小学生兄弟が、言ってくれる。
「優しい。」
と、自転車に乗って、近所をぐるぐる廻っている女の子も言ってくれた。
近所の子供達の評判は、なかなかだ。
「あったかい感じだね。」
母も気に入ったようだ。
「イイ色だ〜。」
と、お隣のご夫婦。
及第点のようだ。

オレンジに白を混ぜ、色味と温みを残し、「ハニーホワイト」にした。クリームのように美味しそうなお家になった。塗装は、三面をこの色に、一面をオレンジのままとし、ツートーンとすることにした。二色が出合う角が、取り分け美しい。札幌の澄んだ空気には、晴れやかでカラフルな色合いが、ピッタリなようだ。心中思うのは、着物の裏地に贅を凝らす心意気の如く、望みの色を背面に残し、志を肝に据えようということだ。

ペンキを塗り替えるという単純なことの中にも、私たち人間の本質が現れているのではないだろうか。「こんな感じがイイんだよね〜。」という軽いフィーリングの中にある感覚には、自分という個人を越えた意味が含まれてはいないだろうか。こうしたいという強い気持ち、譲ることの出来ない深い思い。それを私たちは、普段、何気ないところで何気なく表しているように思える。そのことをもう少し、はっきりと意識の上に登らせてみよう。そんなことを考え始めた。とすれば、やはり、ことは、始まったばかりなのだろう。

この三年、北海道で活動を行ってきた。幸いにして、様々な出逢いに恵まれ、連続性を持って、探究を深めることが出来、それは、今も続いている。以前金沢や京都、沖縄などに暮らした経験と引き比べ、日本というパースペクティブでものを感じ、考察することが出来た。数少ない海外経験からではあるが、もう少しこのパースペクティブを押し広げていく可能性を示唆してくれているように思える。

北海道では、剥き出しの自然が多く残っており、札幌などの都市部では、現代と古代が並列混在している例が多い。そこを頼りに、時間軸を数万年辿ることが出来る。地域的な広がりを横軸とし、時間的な深まりを縦軸として私たち人間の基盤について探究、考察出来ないだろうか。そんな思いが深まるばかりだ。

私は、「彫刻」を生業としている。ものをかたちづくることが仕事だ。思いや思考、人間の胸の内、頭の中にある「何か」をこの現実の世界に実現、存在させることが使命なのだ。ただ、国家や社会、人の暮らしの基盤を疑い、破壊、解体してゆく現代の風潮のなかで、何をリアリティを持って、かたちづくるかについては、大きな疑問を感じている。

「何が、大切なのか。」

取り分け、私たちは、大きな震災を迎えて、自らの暮らしを考え直さざるを得ない時にある。それは、分野を問わ無い全人類共通の問題なのではないだろうか。

三陸の若い漁師の言葉が、胸に残っている。「船も港も、町も家も、今まで俺たちは、みんな当たり前だと思っていた。みんな、爺さんや婆さん、そのまた爺さんや婆さんが大切に受け継いできたものだ。むかしむかしの人たちが、なんにも無いところから始めたことだ。それを俺たちがする番になったてわけだ。」

連面と続く人の営み、人類史のなかで、例え取るに足らないと思える人間一個の人生であれ、人類の大きな連なりのなかで、欠くことの出来ぬ大切な「一点一画」なのではないか。この探究には、そんな思いが強くある。

「大切なのは、何か。」

あらゆることは、その基盤の上に築かれる。
彫刻は、その端所に過ぎない。
自戒を含めて、想うばかりだ。

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