作品

くりのみ幼稚園

栗のみ幼稚園

Panorama

「くりのみ幼稚園」理事長であった西澤桂一氏の御遺志によって、私に像のお話があったのは、2015年初夏のこと。彫刻家~望月 健 氏 ,画家~北口さつき 氏を通じてお声がかかった。その前段階として紆余曲折を経つつ、随分と長く制作者を捜しておられたようだ。

2016年春に直接、「くりのみ幼稚園」を訪問して、お話をうかがうことになる。
西澤氏が亡くなるひと月前、入院先で安部栄治氏に託された一葉のメモと「この像は、私自身の名誉栄達を誇るものではない。」との言葉をうかがう。ただの肖像にとどまらぬ後に続く方たち、子供たちに何か大切な伝えたいことがあるということのようだ。そのことについて考え始めるところから仕事がスタートした。

遺されたメモから設置場所、像の数、言葉、と読み解く要素を検討する。
造形の手掛かりとして写真資料を望むが、意外なほど少ない。園児たちの写真や映像はたくさん残されているが、御自身の姿は、驚くほど残されていない。文献などの言葉も皆無だ。西澤氏ご本人を推察する手掛かりとなるものが極端に少ない。隣接する施設などを見せていただきインタビューを重ねる。幼稚園の敷地を見学させていただき、園児たちと遊んだり、なんとかして西澤桂一氏の人となりについて、手掛かりを得ようとする。
この幼稚園の場所は、私自身が幼い頃、遊び場所にしていた谷合いで、確か、りんご農家だったはず。お話をうかがっていくなかで、西澤氏は、りんご農家を営まれていたこと、若い頃の氏の逡巡、多分、壮年のまだりんご農家であった氏の姿に接しながら、幼い頃の自分がこの場所で遊んでいただろうことを想う。

二週間後、粘土造形による簡単なスケッチの写真を提出し、方向性の確認をしていただく。
群像は、理事長、男児、女児の三体。「やさしいこころ つよいからだ」の言葉は、当初メモでは「看板で。」との指定があったが、石に刻んで、より永い時間に対応出来るようにする。設置場所の特定。これらの承認を経て、習作の制作に入る。
習作の検討に二カ月。粘土での習作を写真で確認していただいて後、石膏像に置き換えて、園の先生たちに見ていただく。見ていただくが、ぱっとしない感じ。まだ、焦点が合っていないのだ。
もう一点は、像の内容に疑問符があることだった。いろいろとお話を申し上げるなかで、「どうしてそんなに考えるの?似ていればイイよね〜。」といった感じが強いことに気付く。
安倍氏の「この像には、意味がある。」との言葉により一転。この像は、似顔絵的な肖像ではなく、西澤氏の遺された御遺志をかたちにしようとしていることを理解していただく。
翌日、ご息女の西澤和佳乃氏に父親として、理事長として、一人の人間としての西澤氏について、より深いお話をうかがう。加えて、「いつも、がはは!と大きく口を開けて笑っていた。私たちにとってはそれが理事長先生。」とのことを職員のみなさんからうかがう。
一週間後に、笑った顔でオーケーをいただく。そこから、姿勢も上体をあげて、反り気味に子供たちと一緒に未来を見るという方向を見出す。麦わら帽子、普段の作業着、裸足、三体の関係性、動き、像全体のプランが決定していった。

2016年11月末、既に雪の降り出す時期、お話をうかがってから約八カ月を要して粘土原型の承認をいただく。
この冬は、ことのほか寒さが厳しく、雪も早かった。石膏取り、石膏原型の制作に手間取り、苦労する。アシストを朋友~上村毅に頼む。極寒の中、実制作にも精神的にも力になってくれた。
寒さにより石膏の乾燥硬化が得られず多くの時間がかかる。ブロンズ鋳造の工程に出す時期をずらすこととなった。ブロンズ鋳造には、五カ月を要した。設置などを含め諸処の作業に支障が生まれ、みなさんにご迷惑をお掛けする。

雪解けを待って、「やさしいこころ つよいからだ」の言葉を刻んだ石碑の制作に入る。書は、沼崎美恵氏が書かれた。石は、豊平川上流、定山渓小金湯で出された初心い丸石。寸法2m強、厚み90cm。子供たちが登ったり滑ったり、石にある小さな溝で遊んだりと、遊具のひとつとして、刻まれた言葉に馴染んでもらおうとした。

2017年7月、像、石碑、全体の設置完了。

2017年8月26日、土曜日。除幕式。

以下、ご息女–西澤和佳乃氏の言葉「『やさしいこころ つよいからだ』〜銅像によせて」を。続いて、除幕式でさせていただいた私の挨拶を置いて、「くりのみ幼稚園群像」制作の全容とする。

『やさしいこころ 強いからだ』〜銅像によせて
西澤和佳乃

今回このような銅像を作るに至り、本当に幼稚園に必要なものなのか、また前理事長先生は「子供たちに・子供たちが・子供たちの」が常に念頭にあっただけに、銅像という形で残すことを本当に望んでいるのかどうか…。迷っていた時間は多く、なかなか決心できずにいました。
しかし、幼稚園の理念として、ここで働く職員、そして子供たちの目に日々映ることで、なにかしら伝わるのではないかと思い作ることにしました。
前理事長先生が亡くなる前に残した一枚の紙。そのなかに「やさしいこころ つよいからだ」の言葉を見つけました。もしかすると、この幼稚園で過ごして育つ中ではぐくんでほしいと願う気持ちがあり、本人はもう直接話すことができなくなると知った時に、この言葉に残したかったのかな、と。本人ではないので推測でしかありませんが、そう感じたのです。

銅像は、前理事長先生と二人の子供たち、そしてこの言葉が刻まれた大きな岩のような石。これらが一つのモニュメントになっています。

なぜ前理事長先生の姿が、教師姿ではなく、畑仕事をしている姿なのか…今回彫刻をしてくださった唐牛先生のご示唆もあり、私たち古い職員には見慣れていた姿にしていただきました。

この土地を継ぐ予定でなかった理事長先生は、戦中・戦後は学校に通い、一緒に学び合う友をつくり、その先は、就職を考えていたようですが、事情が変わりこの土地を継ぐことになったそうです。家業であった「りんごづくり(果樹園)」から「花作り(園芸)」へ。その後も世の中は大きく変化し、将来をみすえ、受け継いだ土地をどのように活用すべきか考え、相談にのっていただいた新善光寺住職様のお話を受け、未来を担っていく子供たちを頭に浮かべ「幼児教育」「幼稚園」に取り組むことに決めたそうです。

前理事長先生は生前時間があると「草取り」をしていました。どうしてだろう?習慣?などと考えたものですが、「草取り」一つから学ぶことの多さに気付きました。例えば、どの様に取り組むと効率がよいか、多種にわたる雑草を見分ける方法は?雑草の根の強さ、放っておくと根付いてしまい育てているものに害を及ぼしてしまうため様子をみて対応しなければならない…。育てるために「考え」「調べ」「行動」することが必要になるのです。また、自分が行動しようと思っていても天候などに左右される時も多く、自然の流れを受け入れ、そこでまた対応を考える柔軟さも必要になります。
「 学び」はどこにでもある。目の前のこと、先のことだけではなく、自分の足元にもたくさんあり、様々なところに学ぶ機会がある。そこに気付くと、世の中は広いなと。「草取り」一つからそんなことを考えさせられました。
そして、行動するために必要な「自分の体」の強さ。何をするにも最後は自分の体が資本となるのですが、「草取り」一つの行動でも、「歩く」「屈む」、足腰が痛くなります。決して大きな行動ではありませんが、汗もかきます。こうした動作の繰り返しが、自分の体を強くしていくことに繋がる気がしました。
また、体といっても外側だけではなく内側「心」の強さも伴っていかないと、ある意味
本当に強くなったことにはならないでしょう。「草取り」で例えるならば、自然をどのように受け入れるかではないでしょうか。自分の思い通りにならない時、また予想外のできごと、様々なことと向き合うなかで、「小さな自分」を感じる時もあったと思います。立ち止まって考えた時もあったと思います。その繰り返しが「心」を強くしていくことに繋がっていくのではないかと思いました。

地に足をつけ、栗山を友達と駆け回り、自然に触れること。
友達と過ごすなかで、教室に座って「学ぶ」ことだけでなく、「遊ぶ」なかで育つもの。
上手くいかないことだったり、伝わらないことだったり、そのひとつひとつが本人の糧に繋がる
ことを願いながら、この地から一歩、勇気をもって一歩、進んでほしい。
後ろからは「大丈夫だよ」「行っておいで」と願う。
もしも、どこかで振り向きたい時があれば、必要な時があればいつでも戻ってきていいと。思い
出し、また前を向けるのであれば戻っておいでと。

この銅像が、くりのみ幼稚園の教育理念を心のなかに思い起こさせる象徴となることを願っています。

除幕式挨拶
唐牛幸史

制作をさせていただきました唐牛と申します。

この度は、西澤桂一先生のご遺志である彫刻像が、本日除幕を迎えられまして、おめでとうござます。こころよりお祝い申し上げます。

みなさんとご一緒に、先生と子供たちの彫像、そして石碑の制作に携わらせて頂きまして、一年と少しになります。この間制作のたよりとするために、くりのみ幼稚園、桂和会のみなさまにお
話をうかがいましたり、日常の様子を垣間見させて頂いたり、園児のみなさんのなかに加わって遊ばせて頂きました。時には知り合いを頼りに幼稚園のことをうかがうこともありました。そして、最初の日、みなさまに初めてお会いした第一日目のあの日、安部先生が見せて下さった西澤先生の遺されたメモ。あれは最も大切で、重要で、難解なものでもありました。そして全てでもありました。答えがそこに凝縮されてありました。先生の「この像は名誉栄達を誇るものではない。」という言葉も大きく、ご自身のお写真をあまり残されていない先生のご指示も難しいものでした。それら全てのことから得られましたことをまるでシャーロック。・ホームズのごとく考え、推理構築しましてその都度みなさまに確かめ確かめしつつ、かたちとして実現して参りました。

実は偶然なのですが、五十年前に、この近所、国道36号線沿いの月寒西一条十丁目に住んでおりまして、幼い四、五歳頃の私はこの谷合いのりんごの木々と小川の間で遊んでおりました。家からほどよく離れておりますものですから、子供の私にとりましては、親の目から離れられる絶好の遊び場でした。豆りんごの木もありました。その実を食べて遊び続けたこともありました。そうした小さな小さな頃の自分自身にもリサーチをしましてみなさまの前にされているこの像になりました。

麦わら帽子
メガネ
いつもの格好
大笑いしている笑顔

山全体を踏みしめ裸足で地面に 直に 力強く立っていること
あたたかい新芽の輝き

一直線に未来に向かって走って行くこと
振り返るやさしさ とまどい さしのべる手

時を越えた繋がり えにし
言葉 はじめての文字

やさしいこころ
つよいからだ

先生は、この彫刻を灯台のようにお考えになったのではないだろうか。
そんな風に思います。
ここから成長してゆく子供たちが向かう未来への指針のようなものであり、いつどこにいても振り返って自分の今を確かめるメルクマールのようなもの。
そして、そこには、こんなメッセージがあるように思います。

人生には、ほんとうにいろいろあります。
わたしもそうでした。
でもね、大丈夫です。
人生はいいものです。
恐れる必要なんてありません。
人にやさしく、生成堂々、元気いっぱい、力いっぱい生きてください。
不安になることもあるでしょう。
そんな時は振り返ってください。
ここがみんなのスタートラインです。

なにがあっても大丈夫。
わたしがみんなをいつも、ここで見ています。

いっしょに頑張りましょう!

ブロンズも石も永遠に近い時間残ってゆくものです。
先生とみなさまとのあいだで、これからを生きてゆく子供たちにとって、この彫刻が大切なものとなって未来を旅する灯台のひかりとなりますことを祈りまして、祝辞の挨拶とさせて頂きます。

最後になりましたが、この像の制作をさせて頂きまして、ありがとうござます。
深く深く御礼申し上げます。

ありがとうござます。

本日はおめでとうございます。

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