開かれたドア

「かわいい〜💕」
「やさしそう〜💕」

ホウちゃん、サクちゃん、シララちゃん、アカネちゃん、マライくん、ルンタくん、山中さん家のサッカー仲間のみんなが言ってくれる。

サクちゃんは、僕らがサッカーをしているあいだでも、ときどき一人で見に行っていたんだ。

興味があるんだ。

サクちゃんは、お姉さんのホウちゃんと二人でクッキーをつくっているからだろう、何かが心に引っかかってきているんだ。
きっと、何に惹かれているのか自分でもよくわかっていない。
今はまだなんとなくなんだ。
彼女が、自分から何か言い出すまで、こちらも黙って見ていよう。

この十日間、僕は馬のレリーフをつくっていた。

馬のお墓が出来るそうで、そのお墓の銘板になるそうだ。
競馬方面からの御注文だった。
それはずいぶんと有名な競争馬のようだけれど、競馬に興味がなかった僕には全くわからないことばかりだった。
僕は、ズブの素人なんだ。
たぶん、馬の専門の方達からみると、求めたいことは果てしなくあるだろう。
求められていることは個体判別が大切で、例えば、流行りの女優さんで言うと、広瀬アリスさん、広瀬すずさん姉妹、お一人お一人の個別の個性を表して、なおかつ、魅力までも表現しなくてはならないってことだ。
正直、そこまでは行けてない。

みんなは、ただただ、馬に興味があって、かわいいとか、やさしそうとか感想を言ってくれている。
つくっているところをずっと見ていたせいもあるし、お父さんが、馬をもらって来るって言ってるせいでもある。
とにかく、みんなにすると、最近、馬が自分達にググッと近付いてきたんだ。
みんなには、ここが入り口なんだ。

僕は僕で、おかげさまで、造形の仕事も彫刻の仕事も区別がなくなった。
「そういえば、俺って、どんな仕事も一生懸命やっているよな。」と気がついてからは、ただただシンプルに一生懸命やっているだけになってきた。
だから、素直な感想がとてもうれしい。
友人の坂東も「衒いの無いのが良い。」と言ってくれる。
ずばり、僕の今の気分を言い当ててくれた。
それにしたって、どこまでやっても、次なる課題は無くならず、というか、よりいっそう、まだまだいっぱいあるんだけれども、今の精一杯はこれなんだ。

久しぶりにタイムトライアルな仕事で、そこのところも没頭出来て良かった。
ギリギリの中で、見出せることがたくさんあった。
時間も予算もギリギリになってから、いろんなところを経巡って、行き着いたのが僕のところってだったってことも、僕にとっては良かった。

とにかく、今回の馬のレリーフからは、得たことがいくつもある。
やらせていただいて、こんなに良かったことはない。

先ず、馬は全くの素人で、そういう世界を知るきっかけを頂いた。
そこから僕自身がもっと自然をよく観なければならないことの大切さを再認識した。
そしてレリーフという形式、加えて円形という形態。
円形画面の特性は、絵画での発見からも見出せてきたから、引き続いて彫刻でも試行出来るってことだ。
レリーフという形式は、彫刻であって、絵画でもある。
レリーフというのは、側面を描写するのにはけっこうたやすいが、他の面を描写するには意図的な形態の圧縮や変形を加わえて、強調や省略を行わなくてはならない。
これには、全体的な形態を把握していないと確信を持って取りくむことが出来ないことがわかった。
ってことは、より触覚を磨くためにものを見たり、触ったりと直接行動を増やして行くべきだろう。
五感六感まで総動員してことに当たるってことになる。
洞窟で、絵を描いていた頃の人間と同じ感覚に近づいていけるってことだ。
だからレリーフは、複雑系を内包していて可能性に満ちている。
そこが非常におもしろい。

山中家のみんなの仲間に入れてもらえることで一番おもしろいのは、なんでもかんでも「自習独学」を通して自分自身のものにしてゆくってところだ。
この体験はとてもおもしろいし、なによりも自分自身の子供の頃を思い出して肯定出来た。
例えば、シーちゃんこと、シララちゃんはついこのあいだ自転車に乗れるようになった。
はじめは、お兄ちゃん、お姉ちゃん達が自転車に乗っているのがうらやましくて、憧れていた。
何度も何度も転んで、擦り傷をこさえて、前歯まで折って(乳歯だったから良かったけれども)乗れるようになった。
その間、誰にも手伝ってもらわなかったし、誰も手伝わなかった。
黙って見ていてくれたんだ。
シーちゃんは、先ず、誰の助けも求めず、自分自身でやっていったんだ。
仮にシーちゃんが助けを求めたら、みんなが助けてくれただろう。
みんな、シーちゃんの力が足らないから出来ないのではなくって、シーちゃんが憧れの道の途中にいることをよくわかっているんだ。
つまり、シーちゃんは絶対に出来るって信じているし、出来るってことがわかっているんだ。
そして、今、シーちゃんがそこにいて感じている喜びを理解しているってことなんだ。
だから、シーちゃんも転んだって、前歯を折ったって、やめたりしないでやり続ける。
少しずつ、少しずつ、何かを体得してゆく。
その瞬間、瞬間がうれしいんだ。
それはたやすくないかもしれない、でも、その一歩一歩を歩む道のりがおもしろいんだ。
そこで手伝だったりして、むやみに、ひとが獲得している喜びを奪ってはいけないんだ。
みんなは、それがわかっているんだ。
乗れるようになってから、今日もシーちゃんは、そこら中を疾走している。
僕が、チェーンに油をちょっと注いだら、自転車が軽くなってグングンどこでも行けるようになってしまった。
「立ちこぎ」まで発見して、山でも谷でも物凄い速さだ。
追いつけない。

だから、シーちゃんはこれからも、憧れたことには、自分自身で近付いてゆくだろうし、獲得することを恐れやしない、むしろ、ずっと道の途中にいて歩み続けられるだろう。
なんでもそうするだろう。

「自転車に乗れた。」だけがゴールではないんだ。

今回、展覧会に来てくださった方々には、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。😊
全く予想もしていなかった方達の来訪からは、次なる課題があると教えて頂きました。
それは、予想外だけれども、予想外ってことは自分の範疇の外にはみ出ているから予想外に思えているだけで、実はベストなものを与えて頂いていることにも気付けた1ヶ月でした。
ここが入り口、ここがドアだと思えて、ほんとうに感謝ばかりです。

ありがとうございます。😊❣️

馬のレリーフ

やさしいこころ つよいからだ・4

当初、故人の記念のための肖像だと考えていた彫刻は、どうも、捉え方によっては全く異なったものになることを知った。

かつて、英国の美術評論家ハーバート・リードは、「彫刻とは何か」の中で、「彫刻とは、護符(お守り)か、モニュメントである。」と言われていたが、それは、西洋諸国の首長国の一方的な見解に過ぎず、もう少し幅のある捉え方が出来るように思う。

まあ、どんなこともそうであることに変わりはないのだが。

自分が前にしている機会を、一度、根本からやり直してみることで一番驚くのは自分自身だと思う。

彫刻という具体的で素朴なアプローチを通して、人間を理解しようとすることは、少なくとも僕にとっては、良かったように思う。

僕には、無限の可能性を覚えて、おもしろいのだ。

自分一人では、絶対に出来ない困難ばかりの工程も、不器用で鈍感な自分自身も、たくさんの人が加わることで、かたちに導かれてゆく。
負だと捉えていたことも、正に転化して行く瞬間があるのだ。
時間をかけ、話を聞き集めることで、今まで言語化してこなかった人間を明瞭に理解する機会になってゆく。

どうも、かたちにすることを通して、それが出来そうだ。

どちらかというと、つくるという行為は、無理矢理、形を成すことではなく、対象を理解しようとする気持ちが大切なのではないだろうか?
取り分け、個人の個性を第一義に置くことばかりを考えたり、芸術的なアプローチをひねり出そうと苦心惨憺せずとも、もしかすると、目の前に広がるのはブルーオーシャンであるかもしれない。

気持ちを入れ、手をかけ、足を使い、からだ全部を投入する。
出来る限り濃厚に思いを込める。
ぼんやりとしたかたちにピントが合ってき始め、やがて、かたちとなってゆく。
こんなアプローチもあり得るのかもしれない。

それは、オーダーを受けた作品も自分自身から始まる作品でも同様かもしれない。

少しづつ、確信が持てるようになってきた。
それを自信というのかもしれない。

古澤良次郎・川村年勝 像 〜ともに歩む〜
古澤良次郎・川村年勝 像 〜ともに歩む〜
New birth 展示風景
New birth 展示風景

やさしいこころ つよいからだ・3

小さな習作を重ねて、お客さんも、自分も納得したところを見出してゆく。

僕の制作では、デッサンをしたり、取材資料を整理したり、また現場に戻ったり、インタビューや調査を重ね、繰り返して焦点を合わせてゆく。

人間は、一人一人が異なった個性を持っていておもしろい。
誰かは、誰かから見て、みんな異なって見えている。
また、一人の人間を表そうとすると異なる多面性をあらわにしてゆくことになる。
外見は、とても大切だけれど、外見だけではわからない面も見えてくる。
ここが具象彫刻のおもしろいところかもしれない。

僕はひどく不器用だから、こんな風にしてしか歩み寄ることが出来ない。

先生の写真資料は、極端に少なく、子供達の写真もビデオも山ほど残されているが、園長先生の写真は数えるほどしか見つからなかった。
だから、暗闇で、目をつぶって歩くように近づいて行く。
文章も無く、声もほとんど残っていない。
内面を推し量る資料が無い。
無愛想ではないが、寡黙な方だったようだ。
子供達は、「バスの中では、冗談ばっかり言っておもしろい!」と言うのだから、見せている面が多様なのだろう。

「先生は、大きな口を開けて、アハハッと笑っていた。」という証言から、笑顔の頭像をつくった。
それを「耳が先生にそっくり!」と若手の先生の発言あたりから、ググッと近づいていった。
耳がそっくり!というあたり、「そこを見ていたんだ。」と僕には、そのことがセクシーに感じた。

メモに残された帽子は、麦わら帽子だったようで、麦わら帽子をかぶせた。
インタビューから、草取りをよくしていて、いつも、その姿でおられたようだったからだ。
毎年、近所のホームセンターで買われていた。

奥様は、背広で立派なご主人のお姿を望まれたが、メモでは、どうも違う。
園長先生が望まれていたらしい方に寄って行く。

娘さんや働かれている先生達にインタビューを重ねて、それらの証言を集めて、園長先生のメモを読み込んでゆく。
像は、男の子と女の子に違いないと結論するのにも、けっこう時間がかかった。
二体しかつくらないにしても、必然の結論を見出す。

先生も子供達も裸足にしたのは、大地に立っていることを象徴さねばならないという判断からだった。
なぜかといえば、先生の出自は、どうしても農業だったし、日常、草取りをし続けていたこともそこに根があるのだろう。子供達をくりのみ山で、走らせたり、氷の滑り台で楽しませつつ鍛えていたこともあり、大地との結びつきを裸足で表すことにした。

全体的に方向性を未来に向かって元気よく走って行くようにした。
園長先生が、子供達を送り出すように、遠くに行っても振り返ると、明るく灯台のように光って、そこにあるようにかたちを探っていった。

言葉を刻む石は、定山渓の初心い大きなたま石にした。
今までどこにも使われていなかった石で、かつまた子供達が遊具のように登ったり、石の上を遊び場として活用出来るよう広めのものを選んだ。
親戚の方が、書をされているということで、石に刻む文字は、その方にお願いした。
文字の彫刻は、溝口石材の会長さんが、現場まで来てくださり彫ってくださった。
石に彫られた文字は、子供達が初めて触れる文字になるだろう。
遊びのなかで言葉がからだに染み込んでゆく。
園長先生は、それをご希望だったのではなかったのではないだろうか?

「へ〜、こうなるんだ〜。」

粘土原型を見られて、受け元の社長さんがおっしゃった。

十一月末、降り始めた雪に追いかけられるように、やっと石膏取りを始められた。
アシストを同級生の上村にお願いした。
日々、凍り付く水仕事によく耐えてくれた。
一緒に作業をしてくれただけでもありがたかった。

感謝だ。

ありがとう〜❣️

つづく

粘土原型 裸体
粘土原型 裸体
粘土原型 着衣
粘土原型 着衣
園長先生 頭部像
園長先生 頭部像
アシスト 上村 毅さん
アシスト 上村 毅さん

やさしいこころ つよいからだ・2

その谷間には、ずいぶんと幼い頃に来ていたことがあった。

幼稚園があるのは、月寒から西岡に向かう丘陵地で、かつてそこは、牧場や牧草地など農地が広がっていた。
半世紀ほど前には、羊ヶ丘とは連続した牧場地帯だった。

川が流れて、たしかその頃には小さな湧き水があり、池もあったはずだ。
姫リンゴの木もあった。
グズベリ、ハダンキョウ、カリンズ、スモモと季節になると食べられる実がなった。
水を飲んで、実を食べていると一日、家に戻らず遊んでいられた。
りんごも栗の木もあったが、さすがに、立派で、袋も掛かって、それらには手を出さなかった。
お花も咲いて、天国のような場所だった。

僕の家からは、丘を二つほど越えたところにあって、谷間だから家からは、全く見えない。
「わんぱく小僧」(古い言葉だけれども。)には、絶好の遊び場だったのだ。

あのとき、ここで畑仕事をしていたオヤジさんが園長先生だったのかもしれない。
幼稚園をされる前は、ここはりんご園をされたり、お花をされたりと農業をされていたそうだ。

お話をうかがって、「じゃあ、このメモのある設置場所に行ってみませんか?」と、みなさんと行ってみた。

そこは、幼稚園の遊び場的な栗の木山になっており、中腹に遊具があった。
「どうもこのメモ、けっこう細かいところまで書かれているようだぞ。」
ちょうど、大人が三人手を繋いで立つことの出来るちょうど良い平地があった。
栗の木の幼木が植えられて、桜の木まである。
園長先生は、もうずいぶん前から、ここを予定して、整えられていたのだ。

「おおっ〜。」
「へ〜っ。」
「気づかなかったなぁ〜。」
と声がもれた。

「ということは、ここなのかな〜?」と少し太めの男性が言う。

「そうかもしれませんね。幼稚園からも見えるし、あそこの施設からも見えるようですから。」
先生は、幼稚園の子供達にも若い先生達にも、いつも見えるような位置に像を置こうと考えていたのだ。
それだけメッセージを伝えたいと望まれていたようだ。
ここが、園長先生がここだと指定されていた場所のようだった。
「って言うか、先生、ご自分でやろうとしたんじゃない?もう、し始めているし。」古参の先生が言われた。
「この像は、自分の名誉栄達を誇るものではないって、園長先生がおっしゃっていました。」安倍先生がおっしゃる。

園長先生は、コツコツと御自身でつくられようとされたのか、場所を決めて、木を植えて、像について考え、伝えたいメッセージを言葉にされてこられたようだった。
どうも、ここに、像を立てようとしたのは、ただの思いつきではなかったようだ。

お話をうかがうと、先生には、ご兄弟がおられて、その方が、農業を継がれることになっていたそうだ。では、と、ご自分は学問をしようと努力されていたようで、そのことは、幼稚園をされたことで、幼児教育に向かうなか、やがて子供達に表れてくる。

開花したのだ。

この幼稚園出身のお子さんは、体つきが良く、礼儀がしっかりと身についているそうだ。

それは、近所の小学校でも評判になっていた。

子供達を野菜を育てる農業の眼差しで幼児教育に携わっておられたのだ。

幾人かこの幼稚園出身の方に、お話をうかがった。
「冬に氷の滑り台をつくってくれて、それが楽しいから、雪の斜面を登っては滑り、登っては滑りを繰り返していたなぁ〜。小さいさんには、譲るのがきまりで、怖がっている子は、一緒に滑ってあげて。」

いわば、少し前のガキ大将がいる頃を基本に、こころとからだを育むことをされていたのだ。

「だから、やさしいこころ つよいからだ なんだ。」
得心した。

言葉は、石に彫ってはどうだろうか?

立て看板だと、何でつくってもブロンズほどはもつことはないだろう。
木にしても、金属でつくるにしても数年ごとにメンテナンスが必要になるし、また交換ということにもなる。
それには、たびたび費用がかかる。
そこだけは、提案させて頂いて、他はメモを主体に一度考えさせて頂くことにして、具体的な習作を通して、提案させて頂くことにした。

お話をうかがうことを通して、園長先生の意志やお気持ちがわかってきたことで、集まっておられた方達もどこか高揚された気持ちになられたようだった。

つづく

園長先生
園長先生
園長先生と子供達
園長先生と子供達
像設置場所の確認
像設置場所の確認

やさしいこころ つよいからだ・1

最初に、お話をうかがったとき、幾人かの方達がおられた。

僕がその中に入って行くと、あらかじめどなたかが描かれたデッサンがあった。

それをつくってくれないか?ということなのだろうか?

「このデッサンを描かれた方がつくられた方が良いと思います。描かれた方は、考えに考えて、描かれたのでしょうし。それを尊重すべきかと思います。」
それは明らかにデッサンで、デザイナーが描かれたデザイン画ではないようだった。
確かに、彫刻をしている誰かが、それを描いたのだ。

そう僕が言うと、少し白けた空気になった。

「どうしたらいいのかな…、でもこれを考えた人がつくった方が絶対に良いよな…。」そう思っていると、安倍先生という方が前に出てこられて、「これは、園長先生が、亡くなる前、病院で描かれたのですが…。」一葉のメモを出された。

一段と空気は白けた。
段取りは、せっかく進んでいたのだ。

しかし、実は、そこが始まりだった。

あらかじめ用意されているものは、たいてい何処かから持って来たものであることが多い。
段取られているものは、その辺りで寄せ集めたものが多い。
あまり考えられたものではないことが多い。
正直に言おう。
ありきたりで、考えが浅い。

しかし、仕事となれば考えてみる必要もある。
デザインされたものをつくるのであれば、気持ちを造形モードに切り替えて、引き受けるか、しないかを判断すればいい。
この仕事は、どちらなのだろう?

メモが出てきたことではっきりしたのは、既に何処かにあるものであってはならないのだろうということだ。
つくりたいと思った方の生な意志がそこにあるのだから。

人は、前例があるもの、見たことのあるものを正解だと捉える傾向がある。
見たことのあるものから引っ張って来た方が遥かに楽が出来る。
見たことのないものに挑みたいと思う人はかなり少ない。
例えば、ゴッホの絵だって、ロダンの彫刻だって、始めて見た人達には、抵抗感があっただろう。
それは、その時まで、正解ではなかったのだ。
僕らが目の前にしているものは、既にゴッホやロダンが、必死に出してきたある回答だ。
見慣れているから、正解に思える。

作品ばかりではなく、どんな人も自分の仕事で出してきた回答は必死に見つけた末の結果だと思う。
その仕事に打ち込む度合いが、強ければ強いほど、必死なはずだ。
オリジナルなのだから、簡単であったはずがない。
だから、ゴッホが耳を切ったり、自殺したと聞くと、「狂っている!」と思いつつも共感する部分があるのだろう。
ゴッホのように、人生そのものを掛けていなくても、新たな仕事に挑むとき、ある勇気や覚悟めいた感情は、誰しもが感じているのではないだろうか。

何処かにあった、見たものを真似するのは、ある程度労力はいるものの、勇気や覚悟とは縁遠い。

いささか私的なことのだが、独り身になっていた僕には、きちんと筋を通した仕事をした方が良いように思えた。遠く離れた子供達に、誇れるような、言い訳無しの生き方をしようと決めていたからだ。

誰も批判するつもりはない、ただ、つくりたい、かたちにしたい、伝えたい、残したいと思った意志は、尊重したいと思った。
先ず、そこに自分を置いてみよう、少なくとも、基本はそこだと思った。
彫刻家として呼んで下さったのだ、それを全うしよう。
それがそこにあるのだから。

で、だ。
メモを見てみると、当の園長先生の御遺志であるとわかった。
その上、指示がけっこう細かい。
詳細だ。
服装や人数も決まっている。
伝えたいメッセージもある。
これは、メッセージがあるモニュメントなのだ。
設置場所も決まっているように思える。
設置場所は、現場から確認しなくてはわからないだろう。
それらを複合的、総合的に考えて、結論を導き出さねばならないように思えた。

「みなさんに、園長先生についてお話をうかがって、そこから始められた方が良いように思うのですが、いかがでしょう?」
僕は、まるで、今まさにシャーロック・ホームズが調査を始めようとするかのように立ち上がった。

いっそうその場は白けた。

つづく。

デッサン

太鼓のロクさん

先ずお話をうかがう。

幾度もの失敗を重ねるなか、一番かたちにしたいと思われている方達に直接お話をうかがうことが最初にしなければならないことだとわかってきた。
僕自身が、どんなに些細なことに過ぎないと感じても、それが話題に上がることに重要性がある。
僕自身には、何も無い。
彫刻がほんの少し出来るだけだ。
そんなちっぽけな自分は、とにかく聞くしかないのだ。

ロクさん像制作の折には、先ず、お弟子さんの矢吹さんと打越さんのお二人にお話をうかがった。
そして、時間を置かずにロクさんの生まれ故郷、浜頓別町に行った。
ロクさんについても、太鼓についても、素人の自分は全く知らない世界なのだから、出来る限り先入感無しに高田緑郎さんという方の懐に入って、源泉から、ロクさんをくみ上げて来るようにした方が純度が高いからだ。

浜頓別町は、遠い。
行きは二日掛けて、網走側から海岸線を北上した。
高田緑郎さんは、浜頓別町で生まれて、海岸部から少し内陸に入って開拓に加わり、樺太(サハリン)に渡って、所帯を持って、蒸気機関車の機関士になってゆく。
このいわば、高田緑郎さんが太鼓を始めてゆく前の空気感を感じたかったのだ。

失礼だが、浜頓別町に、何かがあるわけではない。
さまざまな方達にインタビューをして歩くが、どなたも高田緑郎さんをご存知ない。
90代の方がお二人おられることを聞いて、お話をうかがう。
お一人は農家を、お一人は郵便局にお勤めだったそうだ。
お二人共に高田緑郎さんをご存知なかったが、何もない、極寒の地の開拓について聞かせて下さった。
実は、何も無いことが「太鼓のロクさん」を生み出す大きな要因だったのだ。
うろうろと歩き始めて、それがわかり始める。

ロクさんのされていた和太鼓は、御神楽に由来する。
本州では大抵そうで、天地に明鳴と響き渡らせることが神事なのだ。
天空と大地、大海原に、人間が太鼓を響き渡らせる、そのことで、祈りを捧げるというのが御神楽なのだ。
ところが、岩見沢の太鼓屋さん「河原太鼓工所」さんに行って、うかがうと「ロクさんは、コンポーザーでプレイヤーなんだよ。」と言われる。「これは、特徴的に珍しいのだ。」そうおっしゃる、というのは、御神楽の曲そのものは、昔から既にあって、これを神様や自然に対して奉納する。
北海道でも、神道の神社が初めに来て、この時、太鼓が入って来た。
次に浄土真宗系のお寺が入って来た。
つまり、オリジナルの和太鼓曲というのは、認識上無いに等しい。
もちろん、フリーというかたちでは演奏されてはいただろう。
だから演者はいても、作曲家はいないということになる。
御神楽には、作曲という行為自体が存在しない。
自然の中で、長い年月を経て、自然発生的に生まれたものだからだ。
「太鼓のロクさん」は、それをされた点で稀有だといえるそうだ。

さて、終戦後。
高田緑郎さんは、樺太で終戦を迎える。
縁あって、倶知安町に住み始める。
機関士だった高田緑郎さんは、戦後も機関士を続けようとするが叶わない。
アッシュという機関車の掃除夫だったら、仕事があるということだった。
ここで面白いのは、高田緑郎さんは、ここで迷わない、即、アッシュになることを決める。
今で言ったら、飛行機のパイロットの機長から機体の清掃だったら、空きがあるといった具合いのことだ。戦後、仕事に不自由だった時代とはいえ、僕は、ここが、「太鼓のロクさん」への入り口だったように思える。
落ち着いた生活が始まる。
「羊蹄太鼓」「ニセコ連山太鼓」「吹き出し太鼓」など、この地では、誰もが知っているオリジナルの名曲が生まれたのも、落ち着いた生活あってのことだったろう。

数十に及ぶ写真資料をお借りして、お顔の印象を集める。
からだのバランスを測り出す。

楽曲を聴き込む。

倶知安町にて、インタビューをする。

94歳までご存命だったその姿やお人柄は、約60年以上に渡って、たくさんの方達の心にも目にも焼き付いている。

どうやら、鈴木大拙氏言うところの「妙高人」といった印象になってゆく。

実は、金太郎飴のように、高田緑郎さんのどこかを部分的に切り出すわけにはいかないのだ。
奥様もお弟子さん達も、60年も40年も身近にされてこられたのだ。
ロクさんの変化を目の当たりにしてこられた。
ロクさんの印象にフォーカスして、濃厚に煮詰めて、その総体を引き出さない限り、「太鼓のロクさん」にはならないだろう。
この像は、高田緑郎さんを似顔絵的にかたちにするものではないのだ。

「あっ、ロクさん❣️」と言った小学生の女の子の声が決定打になった。

ロクさん像粘土原型
ロクさん像粘土原型

物語(Story)が大切なんだ。

大阪のユニバーサルスタジオジャパンの工事では、ハリウッドで映画づくりをされている方達がやって来て、現場監督をされていた。
僕が担当していた現場では、バシリさんというギリシャ系の方がディレクターで来られた。
バシリさんは、モルタル造形のスペシャリストだ。
映画でいうと、セットをつくる仕事で、それは大きな場面そのものをつくる仕事だ。
存在しない場所をつくりあげる。
それもハンドメイドで。
どうかするとSF映画やファンタジーなどでしか見たことがないかもしれない。

今だったら、当然CGにするだろう。

朝、バシリさんと電車の中でお話しするようになって、既に早朝から現場がはじまっているように感じていた。
朝の挨拶は、モルタル造形について、電車教室で講義を受けるかたちに移行していった。
バシリさんにとっては、初めての日本で、ご自身のターニングポイントになる仕事ということもあって、早朝からテンションは最高潮だった。
現場では、物静かだったが、仕事に対する情熱が激しい。
だから、一層熱を帯びておられたのだろう。
車中、僕らに近付く人はいなかった。
「あいつ、また捕まってるよ。」というのが周囲の思っていたことだったろう。
僕も英語が不得意なわりには、質問などしてしまうから、話は途切れない。
むしろ電車の中くらいでは、時間が足りなかった。
技術的なことはもちろんだったが、「つまりは、いかに物語を大切に出来るか。問題はそこなんだ。」と、一つ一つの場面に宿る小さな物語を理解することの大切さを教えていただいた。
具体的には、その場面の建築物や岩や土壌などは、いつどうやって生まれたか?そして、どんな時間を経て、今あるようになったか?これからどうなってゆくのか?ということに思いをかたむけることだった。リアルな表現とは、写真的な表し方だけではなく、その場に過去、現在、未来を盛り込んでゆくことで、お客さん達の心に訴えることだ。映画の内容にとってその場面はどういう意味を持つのか?などなど、当然、バシリさんも、映画好きだから、例を山ほど出して説明してくださった。とにかく、濃い。
僕も、知っている映画が出てくると感激して話が盛り上がる。

「映画では、そこまで、愛情を持って取り組まないとフィルムには写ってくれないんだ。」そうおっしゃる。
それには、日頃のリサーチや研究、学習が必要で、時には専門家に聞きにも行くそうだ。

「そこまでやりきったら物凄くおもしろいだろうなぁ〜。」と、テンションが上がって、仕事にも熱が入ってゆく。
映画とは、こういう方達が寄ってたかってつくられているようだ。

SF映画専門の小道具をお爺さん、お父さん、ご自分と三代にわたってされているジェイソンさんも同じことを言われていた。
比較的新しい表現形態だと思っていたが、映画の歴史だって、130年経っている。
そこには、伝統芸能的に伝えられているお家芸的な知恵が育まれているようだ。

丁度、エバンゲリオンの登場人物、碇ゲンドウと冬月コウゾウの頭身大フィギュアをつくる仕事を頂いた折、この考えを、人間像に積極的に盛り込んでみようと思った。
頭身大ということで、方向性をアニメのフィギュア方向ではなく、出来るだけリアルな人間像にしたいと、了解をとって制作を始めた。

それまでに、造形屋さんで肖像彫刻をいくつかやって、それまでの進め方はどうも違うな〜と自分も思っていたし、お客さんの方もできたものに納得しておられなかったからだ。
だいたい最後は、営業の方の「こんなものですよ。」で終わらせることに不満がつのっていた。
どうにか改善したかった。
何処かに、人間像の新たな取り組み方があるはずだと思っていた。
一つの実験でもあった。

フィギュア制作では、DVDでテレビのアニメーションを見、映画を見て、マンガを読み込み、設定資料にもあたった。
当時は、作者の庵野秀明氏個人の情報は無く、表面に出ている情報以外に頼るものが無かった。
比較的限られた情報から想像を始めた。
そのときお世話になっていた造形屋さんの社長さんが、映画好きだったこともあり、ヨーロッパの映画もご存知だったので、人物像をアメリカ映画よりもヨーロッパ映画の方に振って、マッドに人物造形を行なっていった。
少々、アーネスト・ボーグナインという昔のアメリカの俳優さんの要素も入れた。
社長さんとお話していて、ゲンドウは、理解出来ないような状況のなかでも意志を突き通す図太さがあるだろうと意見が合ったからだ。
狂っているように見えて、狂ってはいないのだ。
アメリカの俳優さんの要素を取り入れたのは、エバンゲリオン的な状況にさらされている人間像が、ヨーロッパ映画にはいなかったせいでもある。
目には、造形屋さんのご好意もあって玉眼を入れた。
その造形屋さんは、主に動物の剥製を作られていたから、目に入れる吹きガラス制の眼球があったからだ。

おかげさまで、このフィギュアは、版権会社から、「エクセレント」の評価を頂いた。
マニアばかりの方達が揃っている会社から大きな評価を頂いて、人間像をつくる一つの方向性を頂いたように思った。

以来、人間像の制作では、徹底的に取材、調査、インタビューなどを通して、人物像を掘り下げるようになった。
手間も時間も掛けた。

この仕事のあと「太鼓のロクさん」をつくらせて頂くことになった。

一見、偶然に見えることも見ようによっては連続した必然であるかもしれない。

エバンゲリオン(碇ゲンドウ、冬月コウゾウ)
エバンゲリオン(碇ゲンドウ、冬月コウゾウ)
壁面・擬岩と先生像(優しい心 つよいからだ像)
壁面・擬岩と先生像(優しい心 つよいからだ像)

飛猿想念図

古澤良治郎さんの像をつくっていた頃、川村年勝さんと一緒 にさまざまな方達にお会いした。

「こういう人を、仙人というのかもな〜。」

偶然なのか?必然なのか?よくわからない。
常識が壊れだしていった。

八剣山で、丸太の塔を建てていた本間さんは、一人で山を崩して、道を作り、山でころ合いの木を選んで倒し、下ろして、それを塔に建てていた。
僕は、それをはじめの方から見ていたけれども、途中まで、何をしているのか、全くわからかった。
淡々と苦もなく、一人でやっておられるので、自分の理解が追いつかないのだ。
出来上がった塔は、地下のパイプラインなどを点検するためのカメラ開発の実験に使われるのだそうで、これまた全く予想がつかなかった。
このカメラは、原子力廃棄物処分場の地盤などの地質調査などに使われるそうだ。
素朴な丸太の塔の様(素朴といったって、巨大は巨大だ。)と最先端のカメラ開発が結びつかない。
意外過ぎて、だんだんと何が出て来ても怖くなくなる。
感覚が揺すぶられて、おかしくなっているのだろう。
本間さんは、かつて庭師をされていたそうだ。
石を滝に組むのが得意だそうで、僕は「庭と滝」が結びつかず、これまた想像が追いつかなかった。
だいたい、自分の家の庭に滝を作りたいと望む方が、実際におられること自体が自分の許容範囲を遥かに超えていて、想像出来ない。
それに応えることに得意な人が、実際に目の前にいるのだ。

呆れ過ぎて「それはどのくらいの金額で…。」と聞くのも忘れてしまった。

夕張の建設用重機のレンタル屋さんの柳沼さんは、背中にエンジン付きのプロペラを背負ってパラグライダーで空を飛んでいた。
何度も落ちたそうだ。

空から落ちる!

他にも、大きな1000ccのハーレーのバイクにも乗っておられるそうで、失礼な言い方だとは思うが、そのヨボヨボさ加減からは、到底予測がつかなかった。
ずいぶんお年を召されていたのだ。

人間、なんでも出来るんだなぁ〜と感動した。

柳沼さんにお会いしたのは、彫刻の台座用に石を頂こうとお会いしたのだが、「なんでもしたらいい。」とプランを説明する前に、全肯定だった。
柳沼さんの石置き場にあるのは、どうやって運んだらいいのだろうというような巨石ばかりで、「どうやって運ばれたのですか?」と質問すると「どうやってだったかな〜?」と巨石を運ぶことは、武勇伝ですらない。
スケールが違い過ぎている。
結局、僕は、自分で運べそうなくらいの石を見ている。
そのこと自体が自分自身の限界を示していることに気付いて、赤面する。

つくづく「北海道だな〜。」と感心して、小金湯の渡辺さんに話したら、「そうなんや、そんなんは、怪物言うんやろな。そういう人がおるんやわ。ようけはおらんけど。」と言われた。
その渡辺さんご自身は、広大な土地を北海道特有の生態系で満たそうとしている。
例えば、この冬は、オジロワシを餌付けしていたが、オジロワシの群生しているのなんて、見たこともなかった。
谷間の木々の枝に、わっさ、わっさと羽音が響いて怖いくらいだった。

僕など、こういう人たちの前では、とても「芸術家です。」だとか、「アーティストです。」だとか、恥ずかしく口に出せない。
こういう方は、何屋だとか、何をしているということは、一切説明がない。
そんなことは表面的なことで、むしろこちらが気付いただけのことが開かれる。

「なんのために?」と尋ねても、首をひねられるばかりで、わかりやすい応えは無い。

自分自身の限界を知って置き去りにされると、しょんぼりするものだ。

それでも、だ。

よーし、がんばろー。

と立ち上がる。

飛猿想念図

日月山水家族図

人生は、絶妙のバランスとタイミングで進む。

最近、叔母が亡くなった。
八十八歳だった。
「だいたい帳尻が合うもんだから、ね。」
亡くなる前に遊びに行ったとき、小さないくら丼とひじきとお揚げの煮物を用意してくれて、そう言った。
その日訪ねたのは、母の老人ホームでの面会が叶ったからで、そのときの元気な様子の写真を見せたかったからだ。
母は立つことも出来たし、僕を忘れてもいなかった。
一年ぶりだというのに。
叔母は、ずいぶん喜んで、来週、一緒に会いに行こうということになった。
それから、電気のスイッチカバーを変えて欲しいと言ったので、即、ホームセンターに行って交換した。
その時、二階に行ったり、降りて来たりで計4箇所をその場に行って示してくれた。
元気だった。
お駄賃に、コーヒーと芋餅を用意してくれたので、ひとしきり話をして帰った。
亡くなったのは、それから二日してからだった。

「見事だなぁ〜。」今はそう思う。

叔母と母は、絶妙の姉妹だったと思う。
文句が絶えなかったのは、言いたいことを言い合うからだ。
早くに母親を亡くしたこの姉妹は、けっして順風満帆の人生ではなかった。
まあ、この時代、誰もがそうだったのだろうが、いつだって、自分の人生は自分自身が当事者だ。
誰とも、比べることなど出来ない。

叔母にも、母にもいろいろあったのだ。

母にしても、今、認知症で老人ホームに入っているが、ホームにいるおかげで、世間のコロナ騒ぎも知らず、かつて自分にあった悪いことなどもすっかり忘れて、良いことばかり覚えている。
とても幸せだ。
性格も、はしかいほうだし、テレビも新聞もよく見る方だから、もし家にいたら心配でたまらず、たいへんな大騒ぎだったろう。
老人ホームでは、自分にあった悪いことばかり話ている方もいる。
認知症だから、自分が話したことも忘れて、繰り返し同じことを話している。
母が、悪いことを忘れてしまって、頭の中が良いことばかりにになっているのは、認知症のおかげだ。
認知症にも良い面があるのだ。

ほんとうにおかげさまだ。

きっと、誰にとっても、このコロナ騒ぎにもおかげさまなところがあるだろう。

仏教では、因果応報の話をする。
因果応報とは、良いことをすると良いことがあり、悪いことをすると悪いことがある、そのことによって魂が成長するそうで、輪廻転生とセットの考え方だ。
輪廻転生するなかで、因果応報を通して人間の魂は学んで、磨かれるそうだ。

僕も叔母も思うのだが、いろいろな人を見ていると輪廻転生などする以前に、今生で因果応報的なことは起こってくるようだ。
まあ、いわゆる「天の恵み!」とか「バチが当たる。」ってぇやつだ。
過去生だとか、現世とか来世とか、そんなに悠長な話でもないようだ。
きっと、生きているなら、なんでも良く受け取って、出来るだけ良い行いをした方が良いだろうということなんだろう。

だから「帳尻が合うもんだから、ね。」なのだ。

実は、人生には、良いことも悪いこともなくて、人間というのは、ただいろいろと体験したいだけなんだそうだ。
自分が望むなら、試しに人殺しだってやってみたらよいのだ。
ただ結果としては酷いことにはなるだろう。

お茶の先生をしていた叔母からは、仏教的なことを普通のことばで教えてもらった気がする。

自分が小さく思えることでも、大きな宇宙のなかでの出来事で、その小さなことの積み重なりが宇宙をかたちづくっているのだ。
また、大きな宇宙の中にいる自分は、その中で生かされている。
この大きな宇宙あってこその自分なのだから、いつも感謝の気持ちを忘れるんじゃないよっていうことを小さな頃から教えてもらったなぁ〜と、いささか抹香臭いけども、僕は心底思っているんだな〜、これで、さ。

日月山水家族図

誕生花図

我が子が生まれたとき、こんな文章を書いた。

「妻は大きく深い呼吸を繰り返し、定期に息を止め、いきんでいた。
大きく口を開け目を開いたかと思うと、次にはこれ以上ないというほどに閉じ、顔色がどす黒くなるほど力を込める。
そのたびに髪の毛の玉が股間で出入りを繰り返した。
いきむたびに心電図は波打ちをやめる。産道の狭さといきみの強さは子供の心臓を止めてしまう。
幾度のいきみの後、黒い毛玉に見えていたものが頭となり、続いてヌルリと白いからだが出て来た。
太いゴム管のようなへその緒が繋がっている。
子供の性器が大きく見えた。
女児だ。
娘はもうすでに口を開き、目を開けていた。
彼女は、大きく”声”を発した。きょろりきょろりと辺りを見回している。
手をさしのべると、二度、握り返してくれた。
強烈な喜びと戸惑いに、からだがぐらぐらと揺すぶられた。
全てが消え去るほどに特別な感情だった。
私達三人が、そこにいた。
(1994/3/31)

むわりと獣の臭いがした。
その日、朝早くから産気付き、病院に駆け込んだ。
すぐに陣痛は強くなり、流れるように分娩室に入った。
強く強くいきみは続き、いきみの強さに悲鳴が流れ出た。
同時にブルリと子供が出てきた。
子供は大声で泣き出した。
赤い。
獣の臭いは強まり続け、子供は力尽きることなく泣き叫んだ。
「あなたと同じ臭いがする。」妻が言った。
息子が生まれた。
(1998/7/16)

所帯を持って8年になる。様々なことがあった。
家族が増え、日々が変化するにつけ、確信することがある。
宇宙の壮大な物語と私達のささやかな毎日はしっかりと結び付いている。
いや、むしろ、”ささやかな毎日”の営みこそが巨大な世界をかたちづくっている。
私達の一刻一刻が、世界を彫刻し続けているのだ。
諦めることなく、投げ出すことなく、”生”を紡ぎ合う。
この大切さを、いつも思っている。
(2001/8/19) 」

最初は是非、新らたないのちの誕生と家族について描こうと思った。

どんなに言葉にしても、通じないことがあることに気付いたからだ。

とにかく表そう。
表すことで、きっと、誰かが気付いてくれるだろう。

出来ることは、それしかないのだ。

作品には、個人の想いが込められて、当然だと思う。
それがいかにちっぽけなものだとしてもだ。
廃れることのないもの。
如何にして、それ以上に大きな意味を含ませてつくれるだろうかと工夫するところに、つくる者としての幅というか、深みというか、豊かさがあるように思う。

そう、努力するしかない。

誕生花図