DIVE

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2011年3月28日(月)〜4月8日(金)「札幌を掘る DIVE DOCUMENT」と題し札幌市役所にて展示を行った。

この展示は、札幌市職員-熊谷直樹氏のふとした興味をきっかけに、動き出し、札幌市琴似に残る北海道最初の屯田兵村の遺構-兵屋について、二十年ぶりに行われた柾屋根葺替え保存修理に伴い、その竣工を記念して企画され、行われた。約半年に渡る取材と準備、数え切れないたくさんの方々の御協力あっての催しとなった。

北海道-札幌の歴史をたどり、ここに暮らす自分たちの足元を見詰め、確かめることが、大きなテーマとなった。内に籠らず、地球規模の繋がりを見つけ出す為に人類史、考古学、地質学等へも取材を深めた。言わば、札幌のアイデンティティを普遍性の中に捉え、個性を抽出し、未来に生きて行く誇りとして確認した催しと言える。

現在、札幌には190万人を越える市民が暮らしている。北海道では、550万人、北海道の約三分の一の人間が暮らす巨大都市だ。この膨大な人々が、今、正に、自分たちの手で、ここをつくりあげていることを互いに思い合えるひとつのきっかけとなればと考えた。

この展示を、単なるグループ展と捉える方もおられたが、実際には、「かたちとして表された物事」と「かたちとして現れて来ない力」のオーケストレーションによって成り立った。また、当初から、思っていたことは、思い付きなどの提案について、可能性の可否判定をするのではなく、全て実行する方向を持つことだった。

「どうしたら出来るのか。」
いつもそれを話し合った。

自分たちの範疇を越える様々な方々や要素によって生まれてくるものに敬意を払い、尊重し、偶然や未知を積極的に受け入れて、混ざり合うところに、何が生まれてくるか。科学反応を強く望み、楽しんだ。

結果、未だ例えることの出来無い「何か」が立ち現れた。しかし、それは、混沌や混迷といったアナーキーなものではなく、確かに多くの共感を生むものとなった。

人としての仁義や礼節に基づいた発言や行動は、必ず実りへと繋がるのだ。そして、私自身も含めた、参加された方々は、それぞれ、御自分のされていることの根もとを確認され、よりその営みを磨かれることとなった。普段の自身の日常の中にこそ、「美しさ」が輝いていることを再認識したからだ。それが、この催しの最大の成果だと捉えている。

自らの足元、出自、歴史を深く見詰めることは、振り返って、今を生きる力となり、そこから、新たな活力が芽吹く。

「生命あるものは、かならず芽を吹き、生きる。」
これもまた、恩人から頂いた言葉だ。

さて、とどまることなく、歩みを進めよう。

展示参加者リスト(順不同、敬称略)
絵手紙:札幌市立琴似小学校4年生、琴似屯田子孫会
彫刻:唐牛幸史
板書:田山修三
クレイアニメ:キュウイフイルム
彩色写真:伊藤潤
短歌:山田航
篆刻:酒井博史
建築模型:佐々木泰之
テーマ曲:カポウ・古舘賢治・Toy Toy

REPUBLC

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「ああ、そうか、こういうことになっていたのか。」
目の前に展開する自分の頭部CTスキャン画像が、それを明らかに示している。「これが、隠れ脳梗塞です。現状では、全く問題有りませんが、如何ですか?」「はい。全くその通りです。問題有りません。」私は、深く頷いて医師の質問に応えた。

2008年、私は、独りになった。
その折、様々な症状が、併発、交錯した。それらは、精神的なショックによる極度な免疫力の低下が、引き起こしたとのことだった。全身の痺れと視覚及び言語の障害も併発していたが、やはり、「精神的ショック症状」と言われ、直ぐに通常に戻ると診断された。どうやら、その時に脳梗塞も起こしていたようだ。それから現在迄の四年半、私は、思わず知らず、リハビリの時を過ごして来たらしい。

脳梗塞のリハビリは、それまで無意識にしていた生活行動のひとつひとつを意識することから始まる。これは、自らを「再構築」するということだ。例えば、「歩く」。歩く行動を頭で分析し、もう一度再確定する。足をどのように持ち上げ、どのように踏み出すのか。これまでの行動のひとつひとつを検証して、もう一度、脳から身体中へ、四肢へと指令する。今まで無意識だった行動をひとつひとつ意識化して行う。当たり前の日常生活を再構成、構築し直すということだ。正に私は、ここ数年、自分自身を明確化することを意識してきた。そこから得たことは、「志の再認識」、「自信の再確定」、「健康の再構築」であった。

今、齢五十を目前に、この「気付き」には、リハビリの終了と共に、新らたな生への扉が示されているように感じている。これからの生が、子供達の世代に、それが、如何なる生き方であれ、通底する基盤になるものを、いかばかりでも見付けることが出来るなら、この上ない。今もって無名の存在ながら、改めて、自らの志に精進、前進を誓う思いが深まっている。

山下邸での仕事は、正にその初めの一歩と成った。札幌市旭ヶ丘にある山下邸との出逢いは、1993年、二十一年前に遡る。古くからの友人-山下深雪氏より、「開拓時代の山下家の家屋が残っており、空き家となっている。ここで何か出来ないだろうか?」との問いかけがあり、ここを会場に、1993年に「旅程」、1994年に「声-あたらしい人」のふたつの展覧をさせて頂いた。その折には、お祖母様もお元気で、「お家がきれいになって、夜、灯りが灯ってお客さんがいっぱいになると昔を思い出すね〜。」と喜んで下さった。御家族で養狐場を経営されていた折のことを思い出されての御言葉だった。私にとっては、それまでの仕事を振り返り、新たな課題に取り組む大切なターニングポイントと成った。ものは、それだけで成り立つものではなく、人の生活の中から生まれ、愛しまれるものであることに気付き始めたのだ。

それから、十五年以上の時を経て、再び其処を訪れた。室内では、土壁が落ち、外装も随分と痛んでいた。痛々しい様子に、心が痛み、修復をさせて頂くことをお願いしたところ、快諾して下さった。修復をするにあたって、創建当時の復元方向に向かうことを考えた。また、新たな時間への志向性を含むものとした。修復後に、オープンな利用がされることを考えたからだ。

修復には、丸一年を要した。具体的には、壁体や床などを補強し、展覧会や催し物に耐える強度を持たせた。新建材を剥ぎ取り、出来得る限り、家屋の有り様を読み取り、土壁と漆喰壁などを復元した。表面的には、少々新しい感じはするが、何をしたのかほぼわからない、何処が新しいのか、古いのか判断し難いものとなった。新古が混じり合うところに、時間の連なりが感じられればと思ってのことだった。其処には、歴然とした変化や珍奇さを求めた結果とは、全く異なったものが現れているように思えた。

やがて、近所の子供達や高校生が訪れ出し、ゴロゴロと転がり、「あ〜あ〜。」と伸びをする。この極自然な姿が、この場が持っているポテンシャルを素直に表しているようだ。そのポテンシャルを活かすように彫刻と絵画作品を展示した。リフォームを含めた、あらゆる造形言語を用いて、目には見えない「空気」を設えたと言える。

そんな、夏のある日、突然、お祖母様が亡くなった。持ち主であるお祖母様が亡くなられたことで、状況は急転、お家は、解体が決まった。お祖母様には、是非とも、このお家が、再び美しくなった様子を見て頂きたかった。

以上のこともあり、展覧としての対外的な告知をせずに、自然に出逢う方々の訪れを第一にした。結果、お家に呼びかけられるような気配を感じた方々が来て下さった。場所の持つ何か。それを「場の空気」とするなら、それは歴史や風土の上で、人の紡ぎ出す営みの現れだろう。そして、日々の営みから、歴史も風土も紡ぎ出されていく。私たちは、そうして毎日の生活を築いていくのだ。

展覧中、con.TEMPORARY SPACEを主宰する中森俊夫氏が、幾度も訪ねて下さった。氏は、約三十年以上に渡り、札幌の歴史と風土を川の流れを頼りに活動をされてきた。美術家-岡部昌生氏、川俣正氏、舞踏家-大野一雄氏、詩人-吉増剛造氏との仕事、アートイベント「界川-遊行」による沢山の方々との活動は、代表的だ。私も十代の頃、美術家-川俣正氏のお仕事に出逢わせて頂き、大きな刺激を受けた。現在も、世代と分野を越えた交流を熱く進行されている。

「この家に見えているものを、場所を変えて見直す必要があるのではないか。」氏の問い掛けから、一年後、お祖母様の御命日を挟んみ、御盆までの7月27日から8月15日、「REPUBLIC」と題して、con.TEMPORARY SPACE主催での展覧をすることになった。それに伴い、写真家、竹本英樹氏、藤倉翼氏、横谷恵二氏の三氏それぞれの視点、表し方によって「山下邸」を再見、記録して頂いた。

con.TEMPORARY SPACEは、約六十年前に紳士服店として建てられた家屋を改装して営業されている。下見をしたところ、展示、観覧に適さない破損箇所、脆弱な部分が見受けられた。展覧にあたり、壁体を補強し、階上部にキャットウォークを施した。一階床を黒塗装、階上部に抜ける空間の縦性を強調し、堅固なものにした。

この頃より、リフォームは、私の活動では、基本に成りつつあった。空間全体に直に触れて、空気をつくり始めることが、リフォームという行動に成っていったのだろう。また、階上部の片隅に、端材を組み合わせ、川俣正氏へのオマージュとした。私個人にとっても、中森氏にとっても、氏との出逢いは、エポックとなっていると思ったからだ。以上の改修を基盤に、展示をした。

開拓期の農家の柱と梁を用い、組み合わせ、新たに柱を立て、空間の真とし、自作、土の彫刻を置いた。また、階上部キャットウォークに、牧草を繁らせ、ここにも土の彫刻を設置。会場に入って直ぐ、石混じりの塔を拵え、この上にも彫刻を置いた。

奈良-法隆寺に、「釈迦入滅」として、釈迦涅槃像と羅漢群像の塑像がある。彫刻の始まりに想いをはせ、彫刻の作造は、これに習い土で行った。自作の主題は、「誕生」「目覚め」「覚醒」とした。「釈迦入滅」とは、真逆の主題であるが、真逆であることで、一層通じた意味を持ち得ることになった。空間全体に渡る、それぞれの造形要素が言語と成って、山下邸に垣間見た北海道の歴史と風土に繋がり、かつ、深まり広がって行くことを考えた。山下邸で見え出したものを普遍性に繋げたいと切望したからだ。

写真家-竹本氏、藤倉氏のニ氏には、特別に作った木製フレームに写真を納め、パノラマ映像の横谷氏には、留寿都村黒田小学校に残る古い机上にモニターを置いて頂いた。竹本氏には、氏の八ミリフィルムから写真を起こすスタイルから、軽快なフットワークを想起、自在なステップを切る様に撮影した多数のショットから五十点を厳選して頂いた。藤倉氏には、大型カメラにより、季節の異なる二点を撮影して頂いた。氏の父君も写真家であり、子供の頃から写真に触れてこられた氏の感覚そのものを大判のフィルムに注力、注ぎ込んで頂いた。これらの写真を納めたフレームは、枠組みを木製とし、たっぷりと時間を含め、存在感を重視して制作した。

フレーム制作には、旧知の友人-小林徹也氏主宰の木工房-樹喜舎の協力を得た。フレームの中には、鏡をマットに、写真を封入した。写真が、現在の時間と場所を留めるものならば、鏡は、未来に於いても常に、その時、その場を映し出す。過去から現在、未来へと向かう「時の彫刻」と成る筈だ。

横谷氏のパノラマ映像は、時空を越えて、ネット上に遍在する。氏のパノラマ映像上に示された矢印が、私には、場所や時間を乗り越えて、繋がり合って行く永遠の矢に思えてならなかった。私は、氏のパノラマ映像は、単なる映像に止まらず、「PANORAMA」という総合的かつ、複合的、重層的、ハイブリッドな「知覚の彫刻」と捉えている。

こうした自分を含める四者の交響をコンダクトし、ひとつの楽曲、一編の物語として紡ぎ出すことが、私の一番の役割りだった。多人数の参加する展覧は、単にグループ展であるべきではない。一個の明確な方向性を共有し、それぞれの能力の最善、最良を目指すべきだ。完成した展覧では、それぞれが混然一体となって力強く存在感を示すべきだろう。例えるなら、ソリストが、オーケストラを組み、交響曲を奏でることだろうし、出演者、スタッフ一致協力して一編の映画を制作することに相当する。出来上がったものは、様々な解釈を許容しはするが、太く力強いメッセージを提示することになる。

この展覧の経験から、個人を包み込む大きな枠組みを得、普遍性と向き合う為には、グループワークという可能性があることに気が付き始めた。ただ、一人一人の無私なる日々の研鑽抜きには、グループワークも成り立ち得ない。これも確かなことだ。

「これは、カッコいいな〜。何だこりゃあ〜。いや〜、かっこイイ!俺のところもこうしたいよ。」展覧準備中から、度々来られる一人のおやじさんが言って下さった。近所で居酒屋を営むその方の言葉が、今も、この展覧を代表する感想だと捉えている。通りがかりの方も多くいらして下さった。信号待ちの車からは、たくさんの感心を持って頂いた。なかには、信号が変わったことに気が付かない方、わざわざ、ぐるっと一周周り、戻って、観覧して下さる方もおられた。

この展覧では、芸術という大上段な捉え方の範疇をはみ出して、理解されていくことが見え出した。恐らく、芸術という特殊性が、普段の日々の中にある何かと響き合っていたのだろう。日常の中で生き生きと息づく端緒を垣間見ることが出来たと言えるのではないだろうか。

「響鳴し合いたいのは、何か?、誰となのか?」

分かり始めた。

LAKURA

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2009年春。山下邸修復中、丁度、十畳間で壁に漆喰を塗っていたその時、一台の白いワンボックスが、通りを下って行った。私は、それを目の端で捉えて見送った。作業に没頭していたはずの私には、目の端であれ、特にその車を見送る理由など何も無かった。

一転、「ギューン!」と轟音を立て、その車が、バックで戻って来た。
「ここ、何ですか〜?」
何時の間にか、玄関に立った女性が、そう言った。
「修復中なんです。」
「何になるんでしょうか〜?」
そう言っている間に、既に女性はなかを覗き込んでいる。
「私、鳥居はゆきって言います。」その女性は、言った。

それから、幾度か、お子さんやご主人、お友達と一緒に来られた。「この縁側で、お酒飲みた〜い。」来られる度に、そう言われたからよっぽど気に入っておられたのだろう。

一年後の2010年6月、ご主人の坂口氏よりお電話があり、築九十年になる煉瓦の蔵を訪れた。「ここ、イイでしょう!新しい店にと思っています。」「通りがかりに偶然出会って、大家さんにも直ぐにお会い出来たんです。どう思います?ここ?」お二人の目が、「さあさあ!」と背中を叩くようにキラキラと輝いた。

夏、私たちは、煉瓦の蔵と付随する家屋を改修した。9月には、洋服を中心にしたセレクトショップとカフェ「LAKURA-分室」としてオープンすることを目指した。私は、主に煉瓦の蔵部分を担当させて頂き、壁土を落とし、新たな漆喰を塗り、彫刻をし、特性の鏡を据え、空間を構築する様々な手立てを尽くした。又、改修完成-開店後、「ORIGIN」と題して展覧もさせて頂いた。

以降も、断熱工事、デッキ付設、薪収集等、様々なことをさせて頂いた。しかし、現在は、それらは、ごく些細なことに過ぎなかったと考えている。ここで気付いたことは、「出逢い」ということだからだ。

出逢いは、ものであれ、ことであれ、ひとであれ、貴重だ。その貴重さは、計ることは出来ない。たとえそれが、どんなにささやかな出逢いであっても、どれだけの深みを持つか、どれだけの成長を遂げるのか奏でてみなくては、なにもわからない。

私にとっては、山下邸から始まる出逢いの連鎖は、新鮮で濃密なたくさんの方々との出逢いに溢れている。その連鎖は、旧知の友人との再会にも繋がり、現在も続いている。きっと、それは、誰にでもあることだろう。私のみに特別なことではない。

そして、重ねて思う。
その出逢いを信じる。

一粒の木の実を大切に噛み締め、惜しみ惜しみ味わうように、信じることの向こうに、出逢いの実りはあるのだろう。その貴重さを忘れて終わないかぎり。

樹は茂り、森となる。
独りで茂ることは出来ない。

ROOTS vol.2

「絵でも描いたらイイっしょ!」と母。

う〜ん、それを実現したなら、かなり、近所迷惑なことになりそうだ。否、そういうことも、有りなのかもしれない。どうも、この補修工事は、新たな始まりの始まりのようだ。加えて、屋根トタン塗装から、窓枠、外周約物に黒を塗る。きりりと引き締まり、明るさ、鮮やかさが増したようだ。5月31日木曜日、補修作業の全工程を終了した。

「明る〜い。」
スケートボードの小学生兄弟が、言ってくれる。
「優しい。」
と、自転車に乗って、近所をぐるぐる廻っている女の子も言ってくれた。
近所の子供達の評判は、なかなかだ。
「あったかい感じだね。」
母も気に入ったようだ。
「イイ色だ〜。」
と、お隣のご夫婦。
及第点のようだ。

オレンジに白を混ぜ、色味と温みを残し、「ハニーホワイト」にした。クリームのように美味しそうなお家になった。塗装は、三面をこの色に、一面をオレンジのままとし、ツートーンとすることにした。二色が出合う角が、取り分け美しい。札幌の澄んだ空気には、晴れやかでカラフルな色合いが、ピッタリなようだ。心中思うのは、着物の裏地に贅を凝らす心意気の如く、望みの色を背面に残し、志を肝に据えようということだ。

ペンキを塗り替えるという単純なことの中にも、私たち人間の本質が現れているのではないだろうか。「こんな感じがイイんだよね〜。」という軽いフィーリングの中にある感覚には、自分という個人を越えた意味が含まれてはいないだろうか。こうしたいという強い気持ち、譲ることの出来ない深い思い。それを私たちは、普段、何気ないところで何気なく表しているように思える。そのことをもう少し、はっきりと意識の上に登らせてみよう。そんなことを考え始めた。とすれば、やはり、ことは、始まったばかりなのだろう。

この三年、北海道で活動を行ってきた。幸いにして、様々な出逢いに恵まれ、連続性を持って、探究を深めることが出来、それは、今も続いている。以前金沢や京都、沖縄などに暮らした経験と引き比べ、日本というパースペクティブでものを感じ、考察することが出来た。数少ない海外経験からではあるが、もう少しこのパースペクティブを押し広げていく可能性を示唆してくれているように思える。

北海道では、剥き出しの自然が多く残っており、札幌などの都市部では、現代と古代が並列混在している例が多い。そこを頼りに、時間軸を数万年辿ることが出来る。地域的な広がりを横軸とし、時間的な深まりを縦軸として私たち人間の基盤について探究、考察出来ないだろうか。そんな思いが深まるばかりだ。

私は、「彫刻」を生業としている。ものをかたちづくることが仕事だ。思いや思考、人間の胸の内、頭の中にある「何か」をこの現実の世界に実現、存在させることが使命なのだ。ただ、国家や社会、人の暮らしの基盤を疑い、破壊、解体してゆく現代の風潮のなかで、何をリアリティを持って、かたちづくるかについては、大きな疑問を感じている。

「何が、大切なのか。」

取り分け、私たちは、大きな震災を迎えて、自らの暮らしを考え直さざるを得ない時にある。それは、分野を問わ無い全人類共通の問題なのではないだろうか。

三陸の若い漁師の言葉が、胸に残っている。「船も港も、町も家も、今まで俺たちは、みんな当たり前だと思っていた。みんな、爺さんや婆さん、そのまた爺さんや婆さんが大切に受け継いできたものだ。むかしむかしの人たちが、なんにも無いところから始めたことだ。それを俺たちがする番になったてわけだ。」

連面と続く人の営み、人類史のなかで、例え取るに足らないと思える人間一個の人生であれ、人類の大きな連なりのなかで、欠くことの出来ぬ大切な「一点一画」なのではないか。この探究には、そんな思いが強くある。

「大切なのは、何か。」

あらゆることは、その基盤の上に築かれる。
彫刻は、その端所に過ぎない。
自戒を含めて、想うばかりだ。

ROOTS vol.1

「この色で決まりなのかな〜?」
実家隣家のご主人に尋ねられた。
5月24日、am.9:26のことだ。
「はい!」
私は、そう答え、作業を続けようとした。
「ちょっと、来てくれ。」
ご主人は、言葉を重ねた。

ROOTS
ROOTS

私は、実家の外装、屋根、壁全体に渡って塗装工事を進めていた。5月19日から準備を始め、この時点で、既に4日が経過している。一人での作業ではあるが、進行状況は、良好で、24日午前の段階で家屋全体の二分の一を塗り終えていた。

この里塚の家は、私たち一家が、月寒の家を失ってから、弟が、母と暮らす為に建てた。この家も築14年を経、徐々にほころび出してきた。私に出来ることはしようと、気が付く度に、少しづつ補修を重ねてきた。しかし、全体的に補修を施して次の10年に備える必要がある時期を迎えていた。新興住宅地である近隣全域も、壁のサイディングの張り替えを済ませたばかりだった。

私もサイディングの張り替えを試算したが、材料と足場だけでも、軽く50万円を越える。この時点で、予算に見合わないことが分かった。人件費を含めると業者の出している値段もかなり厳しいことが分かる。業者の見積りも妥当な価格なのだ。作業量は、自分一人で解決する範疇を越えている。これなら、ローンを組んで、業者に頼んだ方が良い。無論、時間を掛け楽しみながらということなら話は別だ。

というわけで、私が、出来ることは、点検補修、塗装工事による壁体の保護、強化、リニューアルと結論した。母と相談して、色を決めた。普段この家にいるのは、母だから、母の好みが良いだろう。

「明るいのがイイね。」
普段、派手目なファッションの母は言う。
弟は、「なんでも構わない。」と言った。

近所一体は、グレートーンで色彩に欠ける。これまで実家もブルーグレーだった。私たちは、色味を求め、明るさと華やかさを欲した。「元気、活力の元」ということで、黄系から赤系に掛けて見比べてみた。結果、「オレンジ」を選んだ。

こういう時は、美術家を自慢出来る。カラーコーディネートから調色までなんでも来いだ。「どんな色でも来い。言うてみ〜。やってやろやないか〜。」と関西口調で啖呵を切る。多少大袈裟ではあるが、この色には、私たちの生きる意志と情熱、一族存栄の願いを込めた。様々な山谷を乗り越えて、これからもなほ未来へ、一族の繁栄を祈り、決意する意味がある。

お隣の家に入りリビングを覗くと、窓の外に「オレンジ」が立ち上がり、朝日の照り返しで、煌めいて美しい。色彩が発光して、螢光効果もあるようだ。「ツヤあり」のペンキを選んだ甲斐があった。

「家の中が、赤くてな〜…。」
「?。」

壁に当たった太陽光が、反射して赤色光で、隣家の室内が、真っ赤に染まっている。以前とは、環境が激変したようだ。お隣のご主人とは、仲が良い。素朴な性格も好ましく、普段なにかと「家のこと」について話が合う。お仕事も電線の敷設工事会社を経営されているので、ことごとくに具体的で気持ちが良い。

「ダメかい?」
「ダメではないが、困ってな〜。」奥様も私を見ている。
「ちょっと、母と相談してくるわ。」

母に状況を説明した。
残念そうではあったが、納得してくれた。
他三方の隣家の意見を聞いた。

お向かいは、気にならないようだが、「ハデだね!」という印象を持たれている。地味好みのお向かいの婦人は、あまり良く思っては、おられないようだ。

裏のご主人は、「綺麗な色、美しい!イイ!」と大絶賛。日曜大工が大好きだから、私一人で一軒丸ごと塗り替えていることから、興味津々、好意的なのだ。加えて、自邸のバックに色味が加わり、より立派に見える。悪いことなど何も無いというわけだ。

別隣は、ご夫婦共働きで昼間は、ほとんど居られないので、塗り替えていることにも気付かれていない。現時点では、そちら側までは、塗装が進んでいない。想像も出来ないご様子だ。多分、このまま完成すると、休日の午後は、かなり気になることが予想される。

改めて、様々な要素を鑑みると、此処に「何か」が蠢き出しているように思えてならない。手前勝手の好都合。きっと、私自身が、そう思いたいのだろう。自分一人の思い込みに過ぎないと頭を過ることも無いではない。それでも、直感を尊重、塗装工事を主眼としながら、考え始めたことがある。これからも、この件についての考察と進行状況をドキュメントしていこうと思う。

PANORAMA ー序としてー

2009年からの北海道での三年半の活動をまとめてみました。

私にとって、この期間は、自らの全人間としての建て直しの時間であり、また、彫刻を根本から考え直した時間でした。彫刻を進めることで、新たな出逢いがあり、前進する意欲に繋がりました。取り分け、多くの方々との協働によって、新たな創造に繋がったことは、貴重なことでした。その点から、この記録は、私個人のものではないと考えています。そして、十代に志した彫刻と自分が、何処までも一体であることを、改めて強く感じました。

ご覧頂ければ幸いです。

「社会彫刻」とドイツのアーティスト-ボイスが言った時、私たちが、築きつつある社会そのものが、人間の創造する巨大な作品であるように感じました。いわゆるオブジェクトとしての「彫刻」は、一人の手でも生み出すことが出来ます。歴史上、栄え滅んだ文明も遺されたオブジェクトを頼りに推察されます。

ただ、社会は、かたちとして残らない様々な要素が入り混じり、織り成された複雑な織物のようなものです。加えて、流動性と重層性を持ちますから、オーケストラによって奏でられる交響曲に例えるべきかもしれません。つまり、人の営む社会の諸要素が、しっかりと結び付き、役割りを果たす状況の創造が人類としての志向性だと言えます。

家族、地域、国家、国際社会と枠組みは大きく成って行きますが、根元に於いては、始まりを同じくしています。それを人類史と地球という規模で「彫刻」という捉え方によって探究してみようというのが、私の考える「彫刻」ということになりそうです。
加えるなら、オブジェクトとしての彫刻のリアリティの立ち上がりも其処に強く感じます。より一層の研鑽の必要を肝に命じるばかりです。

「PANORAMA」と言った時、私は、知覚が、全展開することを思います。

「全方位的に知覚を開く。」

私たちが、社会を創造するとは、私たち一人一人の意識を開いて、ものごとの真をしっかりと見詰めることから始まるのではないでしょうか。そうした上で、一人一人の意識が結び付き、織り成す。その時に初めて、これからの社会を「彫刻」し始めることが出来るのかもしれません。そんなふうに考え始めています。

「それは、理想だ。」と言われることもあるでしょう。しかし、その時は、「だからこそ、芸術なのだ。理想のない芸術に意味があるでしょうか。」と強く言うことになるでしょう。突破する力。其れが其処に有ると信じるからです。

今、この時代に、大きな災害を経て、尚更に思わざる負えません。

この記録は、横谷恵二氏のパノラマ映像を基調にネット上に構築したものです。私の作品の展開するなかでの特性上、空間と時間、そして人との繋がりを重視するようになってきました。具体的には、建築物の持つ空間性と歴史性、そして、人が織り成す関係性ということです。これらの複合性と重層性を如何に提示出来るか。横谷氏のパノラマは、こうした問題への最上の解決方法であるように考えています。

この資料では、横谷氏の美学とユーモアが遺憾なく発揮されています。隠された秘密が、細部に渡って配されて、宝探しの魅力もあるでしょう。また、参加された方々の個性的な魅力のオーケストレーションも感じられることでしょう。氏のパノラマ映像に最も特徴的なことは、展開する空間の中で、人が暖かく息づいていることです。じっくりと味わえる映像なのです。どうぞ、文中の写真をクリックして下さい。パノラマ映像の世界が広がっています。また、氏の「panorama journey」を検索してみて下さい。そこで、氏の施した罠を幾つ見破れるでしょうか?お楽しみに。

m(_ _)m。