DIVE 3

2010年8月末、com.TEMPORARY SPACEでの展覧「REPUBLIC」を終え、レンガの蔵「LAKURA」工事中、札幌の南方、空沼岳を目指した。北海道大学山岳部の山荘「空沼小屋(秩父宮ヒュッテ)」を見学に出掛けたのだ。

約束の待ち合わせ場所に着くと、「クニザキです。」と力強い手が差し出された。当日、私達のリードを取って下さる國崎清氏だ。「熊谷くんは、まだですか。」氏は、登山のスタートには、少々遅い時間帯だ。と言葉を重ねた。「登りに二時間、途中、15分の休憩を二回。山小屋で、休憩、昼食で二時間。下山に二時間。午後四時には、解散の予定です。水と食糧は、お持ちですね。」行動と発言に無駄が無かった。背筋が伸びた。

メンバーは、横谷恵二氏、写真家-藤倉翼氏、そして、熊谷直樹氏、私を含めた計五名。空沼岳登山口を十時に出発、國崎氏を先頭に、私達は、笹と樹木の森に分け入った。

札幌を俯瞰すると、四方を自然に囲まれた都市である事がわかる。どの方向へも一時間弱のドライブで、人家を捜すのに苦労する自然の只中に、たどり着く。海と山、川と湖。田畑と酪農の農業地帯。札幌は、豊かさに恵まれた石狩平野に抱かれている。

空沼への山道は、細くなだらかだ。前日の雨が、道を滑りやすくしているが、危惧する程ではない。蝦夷松、とど松の巨木に囲まれ始めると、正に原始の風景が、眼前に現れた思いがする。この風景が、つい百年前の「ここ」なのだ。北海道に、大陸からマンモスを追い掛け、人間が、入って約二万年。圧倒的な自然と共に暮らす私達のこの地が、独特な営みを持つことを実感する。

國崎氏が、ペースをキープしながら、隊列を気遣いつつ軽やかに歩みを進める。そのすぐ後を翼氏が、呼吸を乱すこともなく、おしゃべりを楽しみながら、続く。細身の氏は、自転車競技もしていたスポーツマンだ。加えて、写真家は、アウトドアでの行動が、必須だとのこと。普段のベルボトムにアフロヘアの氏からは、想像出来ぬ強靭さを感じる。三番手を横谷氏が歩く。パノラマ撮影の重機材を背負っての山行にもまったく動じない。その後を四番手に熊谷氏。街中と変わらぬ軽装だ。釣りで川歩きをしてきた氏は、足取りも軽やかに、足元の植物を携帯で撮影しつつ、名前を諳んじながら感嘆の声を挙げている。前日のアルコールは、まったく残っていないようだ。最後尾に唐牛が続く。

國崎氏は、絶妙なタイミングで休憩を取り、無理なく私達を導いて下さる。飴などの甘い行動食を配っては、メンバーの調子を診ているのだろう、一人一人に必ず、声をかける。熊谷氏は、休憩の度に、隊から僅かに距離を取り、心から旨そうに煙草をくゆらせる。

クライマックスの滝を左手に、水音を聞きながら、登りきると声に成らない感嘆が、目の前に広がる。水音は囁くように変わり、魚の影が、目の端を横切る。空沼の水面が、微風に煌めいている。後続のパーティーも次々と「わあ!」と声を挙げずにいられない。

空沼小屋はその畔に静かに、そして、どっしりと立っている。現在は、老朽化の為、使用されておらず、隣接地の大きな山小屋が登山者を迎えている。黒々とした空沼小屋は、丸太組みのスイス風山小屋で、1928年(昭和3年)故秩父宮殿下の下賜金によりスイス-チューリッヒ生まれの建築家マックス・ヒンデル(1887ー1963)の設計、伊藤組土建の建設により完成した。マックス・ヒンデルは、函館のトラピスチヌ修道院を設計した著名な建築家だ。

窓から中を覗くと、真っ黒に燻されて、隙間からは、燻製のような匂いがする。横谷氏は、早速、パノラマ撮影に入る。國崎氏は、早々に、昼食を済ませ、お湯を沸かし、コーヒーを入れ、茶菓子と共に私達に振る舞って下さる。翼氏は、悠然と風景を楽しみ、「パチリ。パチリ。」と時折シャッターをきる。熊谷氏は、草花観察に余念がない。それぞれが、それぞれの気分の良い時間を過ごしている。

「さー、そろそろ。」リーダーの声に、メンバーが腰を上げ始めると、横谷氏が、藪を掻いて出て来た。ゆったりと、下山に入る。帰路は、各自のペースになった。各人の間が、かなり空いている。登りと下りでは、視点が変わり、気が付く点にも変化がある。各自、距離を取りながらも、声を大きくして、自分の感想を他のメンバーに伝えようとする。チームが、生まれつつあるのだろう。

麓で「お疲れ様でした。」と挨拶をし合ったのが、丁度、四時。水も食糧も無くなり、身も軽くなっている。気だるさの入り混じった心地良さと涼しい風を受けて山行の一日を終えた。

DIVE 2

「こいつ、ファインだろう。」
私には、中森敏夫氏が言った言葉が、すぐには、理解出来なかった。
「?」
「クマガイだよ。」
「?」

札幌市中央区、北海道大学医学部のはずれを斜めに西へ入ると、すぐに中森敏夫氏主宰のcon. TEMPORARY SPACEがある。東京都-目黒区立美術館の正木基氏より突然のメールがあり、私に中森氏に会うことを勧めて下さったのは、数日前のことだった。メキシコでの私の足跡から辿って、蜘蛛の糸よりも細い線を繋いで私を発見して下さったのだ。それは、近所の道ばたを散歩中に、宇宙人に「やあ!」と挨拶された様な時空間を超えた摩訶不思議な気軽さに溢れていた。

京都にいた私は、心を決め、札幌への旅に出た。2009年春のことだ。前年秋から札幌-旭ヶ丘の山下邸の改修工事を少しづつ進めてはいたが、それは、個人的なリハビリに過ぎなかった。

「よー。カロウジ。しばらくだな。」と軽く手を上げると早速、中森氏は、時計台の鐘の音から始まる歌を聞かせて下さった。氏とは、美術家-川俣正氏のプロジェクト「テトラハウス」から、約28年ぶりの再会だった。「そう言えば、正木さんともテトラハウス以来だったな〜。」メビウスの輪が繋がる様に、繋がり難い帯が、いとも簡単に結び付いて行く。平然と予想外の景色が、目の前に広がって行く。速度が増し始める感覚があった。

「「この道」だ。アヤっていうのが歌っているんだ。この子、ツバサが気にいっているんだ。どうだ。いいだろう。」ひとしきり「この道」から近・現代についての話をされた中森氏は、時計台の花壇に地の草花を植えている男がいると話し始めた。それが熊谷直樹氏だった。中森氏は、ジャケットの下のTシャツを心底嬉しそうに示して笑った。

「熊谷が、作ってくれたんだ。ファインだろう。」そう繰り返すと、「コーヒーを入れてやりたいが、水がないんだ。汲みに行こう。」大きな水タンクを抱えて来た。一方的な始まりだったが、戸惑いはなかった。

その年の秋、十月の良く晴れた日。「横谷恵二と申します。」と名乗る人物が山下邸に現れた。髭顔に完全防寒装備の氏は、たった今、極寒の北極圏から生還した冒険家の様だった。「中森さんのところで、ツバサさんに伺って…。」横谷氏は、そう言うと、玄関先に立ったまま、突然、パノラマ映像の説明と目的を話し始めた。手渡されたカードには、「PANORAMA JOURNEY」と書かれている。氏の説明を聞いても、その時の私には、「パノラマ」というものを、皆目理解することが出来なかった。心の中に巨大な疑問符「?」が拡がった。

私は、山下邸の改修を初夏に終え、作品を設営していた。この家をよりオープンにして、可能性を引き出したいと思ったのだ。しかし、突然、持ち主の山下トヨ氏が亡くなり、家は、解体されることが決まった。横谷氏が現れたのは、そんな矢先だった。私は、フリーのパソコンをICC(インタークロスメディアセンター)に見付け出し、「PANORAMA JOURNEY」を開いた。

「ナンナンダ?コレハ?」
目眩を伴う驚きがあった。
理解を超える知覚の拡がりを強烈に覚えた。
「宇宙人が、現れた。」
携帯電話を取り、山下邸の「パノラマ」での撮影をお願いした。

時には、理屈では説明の付かない出逢いに遭遇して、整理の付け様がないまま物事が進んで行くことがある。それは、不慮の事故の様に、大きな悲劇を起こすこともある。出逢いが、善きものであるのか?悪しきものであるのか?それは、誰にもわからない。

ただ、こう思っている。
生まれた渦を止めることはすまい。この渦をぐるぐると回す棒をより大きく、強く回し続けよう。今、ここにあることの意味など、到底分かりはしないのだ。行き着く先には、誰も見たことのない風景が、広がっているはずだ。

「渦が、起こり始めた。」
そのことを実感出来ることは、極々、稀なことだ。

ACT FOR THE FUTURE

私は、未来を信じている。

多くの「大人」が、頭を振り絞って、懸命に不安を口にする。そんな言葉は、希望を未来に導きはしない。未来は、確かにある。刻々とやって来るこのひと時ひと時が、未来なのだ。

目の前を通り過ぎて行く今、この今をこそ、懸命に生きる。そのことだけが、希望をここに引き寄せる。積もり積もった後悔の山を踏みしめて堂々とその上に立つ。そこから何が見えるのか。両の目をよく見開いて見る。信ずるに値する何かが見える。それが希望だ。

アメリカの医学者ブライアン・ワイル博士の著書に健康の為に、「ニュース絶ち」を推める言葉があった。試してみると驚くほど気持ちが楽になった。

目覚めには、美味い水。
心には、善き言葉。
速やかなACT。

目標に向かって、黙々とにじり寄る人間は、常に、思考を行動に落とし込む。行動に根ざし抽出された言葉が、自分と周囲を僅かなりとも前に進める。千の失敗が、次なる僅かな半歩を誘発するかもしれないのだ。その僅かな可能性にエナジーをフォーカスする。「生きる」とは、リスクの霞を透視て、希望にレーザービームを照射することだ。

根本から、「社会」を見詰め直してACT出来ないか。そんなことを思っている。「より善き社会をそれぞれの人間が、それぞれの立場、技能、経験、知識、知恵を出し合って実現すること」を。

いわゆる、ART(音楽、文学、美術などの分野、作品と呼ばれるもの)も、人類が、共有し合える「何か」の具現化されたものだ。理想をトコトンまで、拡げて、ACTする。この現実の中に実現して行く。ジャンルと言う小さなテリトリーを、ギュギュっとひとつにして、「生きる」ことにエナジーを集約するのだ。私は、自分が「彫刻」と言っているものをそんなふうに捉えている。

どんな人間も入(はい)れる「大きなうつわ」を築けないだろうか?そういう場を具現化出来ないだろうか?私達皆が、信ずるに足る「場=社会」を私達皆の力で、生み出す。それが「創造」だ。それが、私の強い欲望だ。

ARTIST IN ALL TOGETHER.

ART IN YOU.

私達は、イマ、ココを創造しているのだ。

A DIOS

「コウジ。ビジョンだ。イメージしろ。そして、プラクティス。繰り返し練習しろ、頭と身体、全部が自然に動くように。」マヌエルは、静かに繰り返し教えてくれた。それは、人殺しの仕方だ。

メキシコはベラクルス-ハラッパ。私は、土地の名士の城塞に部屋を借りていた。私の部屋は、かつて城塞の城壁で、馬丁が住んでいたらしい。

マヌエルは、元・アメリカ海兵隊特殊部隊・SEALの隊員だったそうだ。出逢った当時、メキシコ湾上に浮かぶ海底油田コンビナートの海面下点検の仕事をしていた。深海潜水用の特殊スーツを着用して、真っ暗な海底へ一人潜行する。そんな仕事の中では、常に、希望を胸に行動する。心に灯りを燈し続けていないと、突然のパニックに襲われるそうだ。

「酒でも、女でもイイ。どんな些細なことでもイイんだ。俺には、子供達だったがな。」子供が生まれて、現職に転職したと、言葉を重ねた。軍にいた頃は、荒れ狂う大海に飛び込んで作戦行動することが日常だったそうだ。

「無限の中にダイブするのは、慣れないものだよ。自分が、ちっぽけ過ぎて、頭が、恐怖でいっぱいになる。」身長二メートル近い大男のマヌエルの口から、「恐怖」の言葉が出るとは、思いもしなかった。

「そんな時、プラクティスが、大切なんだ。大抵の人は、自分の意志で、嵐の海に飛び込まない。そんなことをしようと思わないだろう?人を傷付けたり、殺し合ったり。そんなことも考えたりしない。しかし、俺には、それが、毎日なんだ。」そう言って、マヌエルは、ビアジョッキに、ビールとテキーラをがばがばと入れた特製カクテルを手渡してくれた。

「生還の条件は、身体の大きさや知識のある無しではないんだ。技術ですらない。問題は、それをやり遂げようと行動することなんだ。アクションを止めないことだ。ビジョンを持って、鮮明にイメージする。なんとか強い意志を保とうとする。それでも、心は、挫けるだろう?そんな時、何度も練習したことを信じて、身体を動かすんだ。」ジョッキをカンと当て、飲めと即す。

「ほんの僅かな希望も忘れてはいけない。気持ちの良いことをほんの少し持っているだけで、心が静かになる。パニックが、収まる。その隙に、タッチダウンするんだ。」絶対絶命の修羅場を生き残って来た男が、ニッカリと笑ってそう言った。

マヌエルとトレーニングを始めたのは、ふとした事がきっかけだった。私の部屋から一つ置いた隣室で、大音量でロックを響かせて、テキーラを瓶ごと煽り飲んでいる男がいた。巨大な悲しみをどうすることも出来ず自分を叩きのめしている。私は、彼にそんな印象を持った。「済まんな。迷惑なのは、わかっている。」目が合う度に、大男は、そう言った。それが、彼、マヌエルだった。

そんなある日、マヌエルは、ユウジと遊んでいた。「コウジ!マヌエルをやっつけよう!」ユウジは、私とマヌエルの間に越して来たばかりの十歳の少年だ。彼は三人兄妹のまん中、母親の名前は、エヴァ。父親は、ニューヨークでスーパーマーケットを営むビジネスマンだそうだ。エヴァは、三人の男性と結婚し、それぞれの三人の子供を授かった。そして、別れた。

ユウジの父親は、日本人だとのこと。「コウジにユウジ。似ているね!」それだけで、なんだか心が触れた。「日本語が知りたいんだ。」ユウジと私は、英語とスペイン語の入り混じったスパングリッシュとも言うような摩訶不思議な会話を通し、言葉を学び合った。

泥酔のマヌエルと組み合った。弾みで、マヌエルの懐に私の身体が入った。一本背負いが決まり、ふらりとマヌエルが倒れる。私は、すかさず、袈裟がためで、ブロックした。マヌエルが、「む〜ん。」と唸ると立ち上がり、私を首にぶら下げたまま勝負が着いた。

ユウジが、ぴょんぴょんと飛び跳ね、喜んでいる。「コウジ凄いよ!凄いよ!」よほど嬉しいのか、ぴょんぴょんがやめられない。終いに、マヌエルの足に飛び付いて、三人共々芝生に転がった。

「いいか。よく覚えておけ。プラクティスだ。イメージしたことをハッキリと思い浮かべろ。そして、アクションしろ。行動し続けろ。その為に練習をするんだ。」急所や関節技を教えてくれながら、マヌエルは、こうも言う。「こんなものは、本当は必要がない。普通に暮らしていて、俺のようなプロフェッショナルに出逢うことは、まずないからな。もし出逢ったら終わりだ。まずは、出逢わぬように気を付けろ。たいていの人間は、人を傷付けたり、殺そうと思ったりしない。ただ、どうしても必要なことがあるかもしれない。そんな時の為に心掛けろ。万が一があり得ることを覚悟しろ。

常に、自分の周りを見回して、そこが何処なのか。何があるのか。確かめろ。スプーンでもペンでもイイんだ。一握りの砂粒でも埃でも良い。手に出来る物を手にしろ。何も無くても、なんとかなる。絶対に諦めるな。終わったと思ってからが、始まりだ。」

毎日のトレーニングが続いた。マヌエルは、トレーニングが終わるとユウジには、熟れた季節のマンゴー入りヨーグルト・ジュースを、自分と私には、ビールとテキーラのカクテルを大きなビアジョッキに作ってくれた。

「スペシャルだね。」
「スペチャーレだ。」

ユウジが言うとマヌエルが、返した。マンゴーシャーベットをジュウサーで撹拌したものとザク切りした果肉を混ぜ合わせた。それは、文字通り、手間を掛けたマヌエル特製のスペチャーレなヨーグルト・ジュースだった。

「ありがとう。楽しかった。」ユウジを抱き締め、私に握手をし、マヌエルは、「アディオス。(じゃあ、またな。)」と言った。僕は、ニューヨークに行って、パパの手伝いをする。僕も、ビジネスをするんだ。」ユウジは、「アディオス。」の代わりに、マヌエルに、そう告げた。マヌエルは、一ヶ月の休暇を私達と過ごして、海底油田に戻って行った。その二週間後、私もメキシコを後にした。

私達は、時折、暗闇で、道に迷う。
望んで、荒れ狂う海に、飛び込む者はいない。
不幸を生み出そうと努力する人間は、稀だ。
それでも、避けられぬことがある。
誰もが、灯りを胸にしたい。
ほんの細やかな穂の灯り、僅かな温もり。
人は、一人では、生きて行けない。

私は、時折「アディオス。」と口にする。
出逢いの始まりの為に。