私は、未来を信じている。
多くの「大人」が、頭を振り絞って、懸命に不安を口にする。そんな言葉は、希望を未来に導きはしない。未来は、確かにある。刻々とやって来るこのひと時ひと時が、未来なのだ。
目の前を通り過ぎて行く今、この今をこそ、懸命に生きる。そのことだけが、希望をここに引き寄せる。積もり積もった後悔の山を踏みしめて堂々とその上に立つ。そこから何が見えるのか。両の目をよく見開いて見る。信ずるに値する何かが見える。それが希望だ。
アメリカの医学者ブライアン・ワイル博士の著書に健康の為に、「ニュース絶ち」を推める言葉があった。試してみると驚くほど気持ちが楽になった。
目覚めには、美味い水。
心には、善き言葉。
速やかなACT。
目標に向かって、黙々とにじり寄る人間は、常に、思考を行動に落とし込む。行動に根ざし抽出された言葉が、自分と周囲を僅かなりとも前に進める。千の失敗が、次なる僅かな半歩を誘発するかもしれないのだ。その僅かな可能性にエナジーをフォーカスする。「生きる」とは、リスクの霞を透視て、希望にレーザービームを照射することだ。
根本から、「社会」を見詰め直してACT出来ないか。そんなことを思っている。「より善き社会をそれぞれの人間が、それぞれの立場、技能、経験、知識、知恵を出し合って実現すること」を。
いわゆる、ART(音楽、文学、美術などの分野、作品と呼ばれるもの)も、人類が、共有し合える「何か」の具現化されたものだ。理想をトコトンまで、拡げて、ACTする。この現実の中に実現して行く。ジャンルと言う小さなテリトリーを、ギュギュっとひとつにして、「生きる」ことにエナジーを集約するのだ。私は、自分が「彫刻」と言っているものをそんなふうに捉えている。
どんな人間も入(はい)れる「大きなうつわ」を築けないだろうか?そういう場を具現化出来ないだろうか?私達皆が、信ずるに足る「場=社会」を私達皆の力で、生み出す。それが「創造」だ。それが、私の強い欲望だ。
ARTIST IN ALL TOGETHER.
ART IN YOU.
私達は、イマ、ココを創造しているのだ。