開かれたドア

「かわいい〜💕」
「やさしそう〜💕」

ホウちゃん、サクちゃん、シララちゃん、アカネちゃん、マライくん、ルンタくん、山中さん家のサッカー仲間のみんなが言ってくれる。

サクちゃんは、僕らがサッカーをしているあいだでも、ときどき一人で見に行っていたんだ。

興味があるんだ。

サクちゃんは、お姉さんのホウちゃんと二人でクッキーをつくっているからだろう、何かが心に引っかかってきているんだ。
きっと、何に惹かれているのか自分でもよくわかっていない。
今はまだなんとなくなんだ。
彼女が、自分から何か言い出すまで、こちらも黙って見ていよう。

この十日間、僕は馬のレリーフをつくっていた。

馬のお墓が出来るそうで、そのお墓の銘板になるそうだ。
競馬方面からの御注文だった。
それはずいぶんと有名な競争馬のようだけれど、競馬に興味がなかった僕には全くわからないことばかりだった。
僕は、ズブの素人なんだ。
たぶん、馬の専門の方達からみると、求めたいことは果てしなくあるだろう。
求められていることは個体判別が大切で、例えば、流行りの女優さんで言うと、広瀬アリスさん、広瀬すずさん姉妹、お一人お一人の個別の個性を表して、なおかつ、魅力までも表現しなくてはならないってことだ。
正直、そこまでは行けてない。

みんなは、ただただ、馬に興味があって、かわいいとか、やさしそうとか感想を言ってくれている。
つくっているところをずっと見ていたせいもあるし、お父さんが、馬をもらって来るって言ってるせいでもある。
とにかく、みんなにすると、最近、馬が自分達にググッと近付いてきたんだ。
みんなには、ここが入り口なんだ。

僕は僕で、おかげさまで、造形の仕事も彫刻の仕事も区別がなくなった。
「そういえば、俺って、どんな仕事も一生懸命やっているよな。」と気がついてからは、ただただシンプルに一生懸命やっているだけになってきた。
だから、素直な感想がとてもうれしい。
友人の坂東も「衒いの無いのが良い。」と言ってくれる。
ずばり、僕の今の気分を言い当ててくれた。
それにしたって、どこまでやっても、次なる課題は無くならず、というか、よりいっそう、まだまだいっぱいあるんだけれども、今の精一杯はこれなんだ。

久しぶりにタイムトライアルな仕事で、そこのところも没頭出来て良かった。
ギリギリの中で、見出せることがたくさんあった。
時間も予算もギリギリになってから、いろんなところを経巡って、行き着いたのが僕のところってだったってことも、僕にとっては良かった。

とにかく、今回の馬のレリーフからは、得たことがいくつもある。
やらせていただいて、こんなに良かったことはない。

先ず、馬は全くの素人で、そういう世界を知るきっかけを頂いた。
そこから僕自身がもっと自然をよく観なければならないことの大切さを再認識した。
そしてレリーフという形式、加えて円形という形態。
円形画面の特性は、絵画での発見からも見出せてきたから、引き続いて彫刻でも試行出来るってことだ。
レリーフという形式は、彫刻であって、絵画でもある。
レリーフというのは、側面を描写するのにはけっこうたやすいが、他の面を描写するには意図的な形態の圧縮や変形を加わえて、強調や省略を行わなくてはならない。
これには、全体的な形態を把握していないと確信を持って取りくむことが出来ないことがわかった。
ってことは、より触覚を磨くためにものを見たり、触ったりと直接行動を増やして行くべきだろう。
五感六感まで総動員してことに当たるってことになる。
洞窟で、絵を描いていた頃の人間と同じ感覚に近づいていけるってことだ。
だからレリーフは、複雑系を内包していて可能性に満ちている。
そこが非常におもしろい。

山中家のみんなの仲間に入れてもらえることで一番おもしろいのは、なんでもかんでも「自習独学」を通して自分自身のものにしてゆくってところだ。
この体験はとてもおもしろいし、なによりも自分自身の子供の頃を思い出して肯定出来た。
例えば、シーちゃんこと、シララちゃんはついこのあいだ自転車に乗れるようになった。
はじめは、お兄ちゃん、お姉ちゃん達が自転車に乗っているのがうらやましくて、憧れていた。
何度も何度も転んで、擦り傷をこさえて、前歯まで折って(乳歯だったから良かったけれども)乗れるようになった。
その間、誰にも手伝ってもらわなかったし、誰も手伝わなかった。
黙って見ていてくれたんだ。
シーちゃんは、先ず、誰の助けも求めず、自分自身でやっていったんだ。
仮にシーちゃんが助けを求めたら、みんなが助けてくれただろう。
みんな、シーちゃんの力が足らないから出来ないのではなくって、シーちゃんが憧れの道の途中にいることをよくわかっているんだ。
つまり、シーちゃんは絶対に出来るって信じているし、出来るってことがわかっているんだ。
そして、今、シーちゃんがそこにいて感じている喜びを理解しているってことなんだ。
だから、シーちゃんも転んだって、前歯を折ったって、やめたりしないでやり続ける。
少しずつ、少しずつ、何かを体得してゆく。
その瞬間、瞬間がうれしいんだ。
それはたやすくないかもしれない、でも、その一歩一歩を歩む道のりがおもしろいんだ。
そこで手伝だったりして、むやみに、ひとが獲得している喜びを奪ってはいけないんだ。
みんなは、それがわかっているんだ。
乗れるようになってから、今日もシーちゃんは、そこら中を疾走している。
僕が、チェーンに油をちょっと注いだら、自転車が軽くなってグングンどこでも行けるようになってしまった。
「立ちこぎ」まで発見して、山でも谷でも物凄い速さだ。
追いつけない。

だから、シーちゃんはこれからも、憧れたことには、自分自身で近付いてゆくだろうし、獲得することを恐れやしない、むしろ、ずっと道の途中にいて歩み続けられるだろう。
なんでもそうするだろう。

「自転車に乗れた。」だけがゴールではないんだ。

今回、展覧会に来てくださった方々には、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。😊
全く予想もしていなかった方達の来訪からは、次なる課題があると教えて頂きました。
それは、予想外だけれども、予想外ってことは自分の範疇の外にはみ出ているから予想外に思えているだけで、実はベストなものを与えて頂いていることにも気付けた1ヶ月でした。
ここが入り口、ここがドアだと思えて、ほんとうに感謝ばかりです。

ありがとうございます。😊❣️

馬のレリーフ

美しきいのち

(いのちの粒子〜Particles of Life)

期間 2021/5/1(土曜日)〜5/31(月曜日)
場所 〒048-1722 北海道虻田郡留寿都村字黒田178 旧黒田小学校
時間 昼頃より日暮れまで

この留寿都村、旧・黒田小学校にお世話になって、十二年がたとうとしています。
一人自然の中に込もって、一番大きなことは、自分自身が向き合っているテーマが何であるかが、明確になったことです。

それは、近隣の方達との交流、そして羊蹄山の姿、営々と広がる農作地、熊や鹿も住む自然が混じり合っているこの地域そのものから得られたことが大きいです。
12年目の今、感謝を込めて展覧会を催します。

2021/4/29

留寿都村黒田

留寿都村黒田

春、雪が融け、福寿草が芽を出し、やがて、桜が咲き、黄金に輝く若葉が緑の階調へと移ってゆく。そして、ようやく春が香ってくる。鳥やリスが蠢きだす。
アスパラは芽を吹き、実りのはじまりとなる。植物達は繁り、緑の力が横溢する。

夏、植物達は繁り、緑の力が横溢する。鳴鳴とした虫の声と数に、自然の中では、自分が圧倒的な少数派であることに気付かされる。ここでは、自分が住まわせてもらっているのだ。自然の前では、大きな顔は失礼この上ない。

秋、畑は実り、野生の動物達は冬仕度を始める。刈り取られ円盤状に丸められた牧草、築かれたさとうダイコンの山、次次と掘り出されケージに入れられるジャガイモ、実りの季節は、全く異なった風景を創出する。日の入りが早まり、夜が深くなりだす。

冬、羊蹄山からの吹き下ろし、しんしんと降り積もる雪が冬を連れ、ここは、静けさと寒さに包まれる。この時期温泉が格別に思える。染み入る温泉の温みは、からだを芯から暖めてくれる。冬の夜空は、満天に輝き、星が降ってくるようだ。

いつも、自然は、気配に満ち満ちている。

一人きりの夜を幾つも経て、身も心も充実した。

それは、輝きに満ちたものだった。

思い出せば善きことばかりだ。

黒田芸術文化交流センター「みちのね」

→ Panorama

そもそも、「ここをひらく」ということが、はじまりでした。

しばらく閉じられていたここ。そこをひらく。それは自分がするのだという思い。他の誰かではなくて、ご縁があって、お世話になっている自分の役割りなんだということでした。

とすると、「彫刻で、」となって、「それは、自分が死んでも、随分広い範囲で、長い時間にわたってひらき続けることが出来そうだ。」と具体的な思考がはじまってきました。彫刻家安田侃さんのお話をうかがったり、メキシコで彫刻を営む友人に会いに行ったり、より積極的、一生懸命に、制作したり、人に会ったりと思考と行動を続けています。

風景や人、歴史や農業、自然、風土、気候、文化と気がついてゆくと豊かさ満載のこの地を地元の方達はもとより、外の世界の方達にもわかって頂けると、可能性が広がってゆくように感じています。

黒田小学校は、1908年に開校、1994年に閉校しました。翌年の春、土田順子氏を中心に黒田芸術文化交流センター「みちのね」として活動が始まりました。途中中断の時期を経て、2009年より、彫刻家唐牛幸史が建物の修復を行いつつ、彫刻の制作を行なっています。現在、自然と農業地帯との狭間にあって、熊や鹿、多数の動物たちも生息する地帯であり、地域の歴史と開墾のシンボルでもあります。

2019年現在、黒田小学校は111年目を迎えています。ここから、新たな歴史がひらこうとしています。

NEW BRON

→ Panorama

芽。
芽を育てる。

ほんの小さな芽、その兆し。
この兆しを感じたとき、それを大切に育む。
それは、最初あまりに小さくて貧相かもしれない、くだらないように思えるだろう。
まったく輝きを放つわけでも、見知った何かと比べれば、どうにもならないほどくだらないように思えるだろう。それでも、それは、自分のなかから生まれ出ようとしている何かなのだ。

その芽をじっと見つめる。

たとえば、紙の上に小さな点を置く。
その点は、どのくらいの大きさだろうか。
その点は、紙のどこにあるのだろうか。
その点は、どんな形をしているのだろうか。
その点は、どんな色をしているのだろうか。
その点は、一つきりなのか。他にも点は、無いのか。いや、点ではないのかもしれない。もしかすると、そこから新たな芽が出て、線となっているのかもしれない。そしてその芽は、どの方向へと伸びていくのか。
思う。感じる。考える。工夫を重ねる。

これを楽しいとするのか、苦しいと思うのかは、人それぞれだろう。それでも、やはり根気を失わず向き合ってみる。向き合っただけ、何か確かな何かを得ることが出来る。そう確信する。信じる。誰も、「そうだな。」と同意しないだろう。それを否定しない。戦う必要もない。べつに強くなる必要もない、ただ、「駄目だ」と思う必要は無い。

それは、何かなのだ。
それは、確実に自分のなかから生まれ出ようとしている何かなのだ。
その何かは、今この時点では、この自分をしか頼りにできない。

そうして、多くの小さな素描を描いた。
それは、やがて千を越えて、紙の外に出ていきたがった。
外で現実の中で自立するには、またたくさんの養分を必要とする。そしてなにより信じてくれることをこそを求めている。

あえて、「どんなこともそうなのだ。」と言おう。
どんな分野であっても、共通するこの芽が出てくる兆し、これを大切に育む時期がある。
この時間を過ごしていない者などいない。
誰もいない。

芽。
芽を育てる。

この指先にごま粒ほどの点を置く。

指先に、小さなゴマ粒ほどの点が現れるほど、思い、感じ、それを空に浮かべる。
思いの密度がスケールを決める。
それは、一人では、絶対に出来ない。
たくさんの人の思いの末にかたちを成す。
ほとんどは、長い年月を要した。
いつも、空中に雲散霧消するかもしれぬ瞬間を通り抜けてきた。
いくつもの偶然も重なった。
諦めそうにもなった。
そんなときほど、新たな発見があった。
そのことが、前進の重要な機会ともなった。

そんな風にして作品のひとつひとつは実現した。

それらは、人と共にあることを願って、そこにある。
その思いがある限り、それらはそこにあり続けるだろう。
そしてこれからも、ひとつ、ひとつ、実現させてゆく。

DIVE

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2011年3月28日(月)〜4月8日(金)「札幌を掘る DIVE DOCUMENT」と題し札幌市役所にて展示を行った。

この展示は、札幌市職員-熊谷直樹氏のふとした興味をきっかけに、動き出し、札幌市琴似に残る北海道最初の屯田兵村の遺構-兵屋について、二十年ぶりに行われた柾屋根葺替え保存修理に伴い、その竣工を記念して企画され、行われた。約半年に渡る取材と準備、数え切れないたくさんの方々の御協力あっての催しとなった。

北海道-札幌の歴史をたどり、ここに暮らす自分たちの足元を見詰め、確かめることが、大きなテーマとなった。内に籠らず、地球規模の繋がりを見つけ出す為に人類史、考古学、地質学等へも取材を深めた。言わば、札幌のアイデンティティを普遍性の中に捉え、個性を抽出し、未来に生きて行く誇りとして確認した催しと言える。

現在、札幌には190万人を越える市民が暮らしている。北海道では、550万人、北海道の約三分の一の人間が暮らす巨大都市だ。この膨大な人々が、今、正に、自分たちの手で、ここをつくりあげていることを互いに思い合えるひとつのきっかけとなればと考えた。

この展示を、単なるグループ展と捉える方もおられたが、実際には、「かたちとして表された物事」と「かたちとして現れて来ない力」のオーケストレーションによって成り立った。また、当初から、思っていたことは、思い付きなどの提案について、可能性の可否判定をするのではなく、全て実行する方向を持つことだった。

「どうしたら出来るのか。」
いつもそれを話し合った。

自分たちの範疇を越える様々な方々や要素によって生まれてくるものに敬意を払い、尊重し、偶然や未知を積極的に受け入れて、混ざり合うところに、何が生まれてくるか。科学反応を強く望み、楽しんだ。

結果、未だ例えることの出来無い「何か」が立ち現れた。しかし、それは、混沌や混迷といったアナーキーなものではなく、確かに多くの共感を生むものとなった。

人としての仁義や礼節に基づいた発言や行動は、必ず実りへと繋がるのだ。そして、私自身も含めた、参加された方々は、それぞれ、御自分のされていることの根もとを確認され、よりその営みを磨かれることとなった。普段の自身の日常の中にこそ、「美しさ」が輝いていることを再認識したからだ。それが、この催しの最大の成果だと捉えている。

自らの足元、出自、歴史を深く見詰めることは、振り返って、今を生きる力となり、そこから、新たな活力が芽吹く。

「生命あるものは、かならず芽を吹き、生きる。」
これもまた、恩人から頂いた言葉だ。

さて、とどまることなく、歩みを進めよう。

展示参加者リスト(順不同、敬称略)
絵手紙:札幌市立琴似小学校4年生、琴似屯田子孫会
彫刻:唐牛幸史
板書:田山修三
クレイアニメ:キュウイフイルム
彩色写真:伊藤潤
短歌:山田航
篆刻:酒井博史
建築模型:佐々木泰之
テーマ曲:カポウ・古舘賢治・Toy Toy

REPUBLC

→ Panorama

「ああ、そうか、こういうことになっていたのか。」
目の前に展開する自分の頭部CTスキャン画像が、それを明らかに示している。「これが、隠れ脳梗塞です。現状では、全く問題有りませんが、如何ですか?」「はい。全くその通りです。問題有りません。」私は、深く頷いて医師の質問に応えた。

2008年、私は、独りになった。
その折、様々な症状が、併発、交錯した。それらは、精神的なショックによる極度な免疫力の低下が、引き起こしたとのことだった。全身の痺れと視覚及び言語の障害も併発していたが、やはり、「精神的ショック症状」と言われ、直ぐに通常に戻ると診断された。どうやら、その時に脳梗塞も起こしていたようだ。それから現在迄の四年半、私は、思わず知らず、リハビリの時を過ごして来たらしい。

脳梗塞のリハビリは、それまで無意識にしていた生活行動のひとつひとつを意識することから始まる。これは、自らを「再構築」するということだ。例えば、「歩く」。歩く行動を頭で分析し、もう一度再確定する。足をどのように持ち上げ、どのように踏み出すのか。これまでの行動のひとつひとつを検証して、もう一度、脳から身体中へ、四肢へと指令する。今まで無意識だった行動をひとつひとつ意識化して行う。当たり前の日常生活を再構成、構築し直すということだ。正に私は、ここ数年、自分自身を明確化することを意識してきた。そこから得たことは、「志の再認識」、「自信の再確定」、「健康の再構築」であった。

今、齢五十を目前に、この「気付き」には、リハビリの終了と共に、新らたな生への扉が示されているように感じている。これからの生が、子供達の世代に、それが、如何なる生き方であれ、通底する基盤になるものを、いかばかりでも見付けることが出来るなら、この上ない。今もって無名の存在ながら、改めて、自らの志に精進、前進を誓う思いが深まっている。

山下邸での仕事は、正にその初めの一歩と成った。札幌市旭ヶ丘にある山下邸との出逢いは、1993年、二十一年前に遡る。古くからの友人-山下深雪氏より、「開拓時代の山下家の家屋が残っており、空き家となっている。ここで何か出来ないだろうか?」との問いかけがあり、ここを会場に、1993年に「旅程」、1994年に「声-あたらしい人」のふたつの展覧をさせて頂いた。その折には、お祖母様もお元気で、「お家がきれいになって、夜、灯りが灯ってお客さんがいっぱいになると昔を思い出すね〜。」と喜んで下さった。御家族で養狐場を経営されていた折のことを思い出されての御言葉だった。私にとっては、それまでの仕事を振り返り、新たな課題に取り組む大切なターニングポイントと成った。ものは、それだけで成り立つものではなく、人の生活の中から生まれ、愛しまれるものであることに気付き始めたのだ。

それから、十五年以上の時を経て、再び其処を訪れた。室内では、土壁が落ち、外装も随分と痛んでいた。痛々しい様子に、心が痛み、修復をさせて頂くことをお願いしたところ、快諾して下さった。修復をするにあたって、創建当時の復元方向に向かうことを考えた。また、新たな時間への志向性を含むものとした。修復後に、オープンな利用がされることを考えたからだ。

修復には、丸一年を要した。具体的には、壁体や床などを補強し、展覧会や催し物に耐える強度を持たせた。新建材を剥ぎ取り、出来得る限り、家屋の有り様を読み取り、土壁と漆喰壁などを復元した。表面的には、少々新しい感じはするが、何をしたのかほぼわからない、何処が新しいのか、古いのか判断し難いものとなった。新古が混じり合うところに、時間の連なりが感じられればと思ってのことだった。其処には、歴然とした変化や珍奇さを求めた結果とは、全く異なったものが現れているように思えた。

やがて、近所の子供達や高校生が訪れ出し、ゴロゴロと転がり、「あ〜あ〜。」と伸びをする。この極自然な姿が、この場が持っているポテンシャルを素直に表しているようだ。そのポテンシャルを活かすように彫刻と絵画作品を展示した。リフォームを含めた、あらゆる造形言語を用いて、目には見えない「空気」を設えたと言える。

そんな、夏のある日、突然、お祖母様が亡くなった。持ち主であるお祖母様が亡くなられたことで、状況は急転、お家は、解体が決まった。お祖母様には、是非とも、このお家が、再び美しくなった様子を見て頂きたかった。

以上のこともあり、展覧としての対外的な告知をせずに、自然に出逢う方々の訪れを第一にした。結果、お家に呼びかけられるような気配を感じた方々が来て下さった。場所の持つ何か。それを「場の空気」とするなら、それは歴史や風土の上で、人の紡ぎ出す営みの現れだろう。そして、日々の営みから、歴史も風土も紡ぎ出されていく。私たちは、そうして毎日の生活を築いていくのだ。

展覧中、con.TEMPORARY SPACEを主宰する中森俊夫氏が、幾度も訪ねて下さった。氏は、約三十年以上に渡り、札幌の歴史と風土を川の流れを頼りに活動をされてきた。美術家-岡部昌生氏、川俣正氏、舞踏家-大野一雄氏、詩人-吉増剛造氏との仕事、アートイベント「界川-遊行」による沢山の方々との活動は、代表的だ。私も十代の頃、美術家-川俣正氏のお仕事に出逢わせて頂き、大きな刺激を受けた。現在も、世代と分野を越えた交流を熱く進行されている。

「この家に見えているものを、場所を変えて見直す必要があるのではないか。」氏の問い掛けから、一年後、お祖母様の御命日を挟んみ、御盆までの7月27日から8月15日、「REPUBLIC」と題して、con.TEMPORARY SPACE主催での展覧をすることになった。それに伴い、写真家、竹本英樹氏、藤倉翼氏、横谷恵二氏の三氏それぞれの視点、表し方によって「山下邸」を再見、記録して頂いた。

con.TEMPORARY SPACEは、約六十年前に紳士服店として建てられた家屋を改装して営業されている。下見をしたところ、展示、観覧に適さない破損箇所、脆弱な部分が見受けられた。展覧にあたり、壁体を補強し、階上部にキャットウォークを施した。一階床を黒塗装、階上部に抜ける空間の縦性を強調し、堅固なものにした。

この頃より、リフォームは、私の活動では、基本に成りつつあった。空間全体に直に触れて、空気をつくり始めることが、リフォームという行動に成っていったのだろう。また、階上部の片隅に、端材を組み合わせ、川俣正氏へのオマージュとした。私個人にとっても、中森氏にとっても、氏との出逢いは、エポックとなっていると思ったからだ。以上の改修を基盤に、展示をした。

開拓期の農家の柱と梁を用い、組み合わせ、新たに柱を立て、空間の真とし、自作、土の彫刻を置いた。また、階上部キャットウォークに、牧草を繁らせ、ここにも土の彫刻を設置。会場に入って直ぐ、石混じりの塔を拵え、この上にも彫刻を置いた。

奈良-法隆寺に、「釈迦入滅」として、釈迦涅槃像と羅漢群像の塑像がある。彫刻の始まりに想いをはせ、彫刻の作造は、これに習い土で行った。自作の主題は、「誕生」「目覚め」「覚醒」とした。「釈迦入滅」とは、真逆の主題であるが、真逆であることで、一層通じた意味を持ち得ることになった。空間全体に渡る、それぞれの造形要素が言語と成って、山下邸に垣間見た北海道の歴史と風土に繋がり、かつ、深まり広がって行くことを考えた。山下邸で見え出したものを普遍性に繋げたいと切望したからだ。

写真家-竹本氏、藤倉氏のニ氏には、特別に作った木製フレームに写真を納め、パノラマ映像の横谷氏には、留寿都村黒田小学校に残る古い机上にモニターを置いて頂いた。竹本氏には、氏の八ミリフィルムから写真を起こすスタイルから、軽快なフットワークを想起、自在なステップを切る様に撮影した多数のショットから五十点を厳選して頂いた。藤倉氏には、大型カメラにより、季節の異なる二点を撮影して頂いた。氏の父君も写真家であり、子供の頃から写真に触れてこられた氏の感覚そのものを大判のフィルムに注力、注ぎ込んで頂いた。これらの写真を納めたフレームは、枠組みを木製とし、たっぷりと時間を含め、存在感を重視して制作した。

フレーム制作には、旧知の友人-小林徹也氏主宰の木工房-樹喜舎の協力を得た。フレームの中には、鏡をマットに、写真を封入した。写真が、現在の時間と場所を留めるものならば、鏡は、未来に於いても常に、その時、その場を映し出す。過去から現在、未来へと向かう「時の彫刻」と成る筈だ。

横谷氏のパノラマ映像は、時空を越えて、ネット上に遍在する。氏のパノラマ映像上に示された矢印が、私には、場所や時間を乗り越えて、繋がり合って行く永遠の矢に思えてならなかった。私は、氏のパノラマ映像は、単なる映像に止まらず、「PANORAMA」という総合的かつ、複合的、重層的、ハイブリッドな「知覚の彫刻」と捉えている。

こうした自分を含める四者の交響をコンダクトし、ひとつの楽曲、一編の物語として紡ぎ出すことが、私の一番の役割りだった。多人数の参加する展覧は、単にグループ展であるべきではない。一個の明確な方向性を共有し、それぞれの能力の最善、最良を目指すべきだ。完成した展覧では、それぞれが混然一体となって力強く存在感を示すべきだろう。例えるなら、ソリストが、オーケストラを組み、交響曲を奏でることだろうし、出演者、スタッフ一致協力して一編の映画を制作することに相当する。出来上がったものは、様々な解釈を許容しはするが、太く力強いメッセージを提示することになる。

この展覧の経験から、個人を包み込む大きな枠組みを得、普遍性と向き合う為には、グループワークという可能性があることに気が付き始めた。ただ、一人一人の無私なる日々の研鑽抜きには、グループワークも成り立ち得ない。これも確かなことだ。

「これは、カッコいいな〜。何だこりゃあ〜。いや〜、かっこイイ!俺のところもこうしたいよ。」展覧準備中から、度々来られる一人のおやじさんが言って下さった。近所で居酒屋を営むその方の言葉が、今も、この展覧を代表する感想だと捉えている。通りがかりの方も多くいらして下さった。信号待ちの車からは、たくさんの感心を持って頂いた。なかには、信号が変わったことに気が付かない方、わざわざ、ぐるっと一周周り、戻って、観覧して下さる方もおられた。

この展覧では、芸術という大上段な捉え方の範疇をはみ出して、理解されていくことが見え出した。恐らく、芸術という特殊性が、普段の日々の中にある何かと響き合っていたのだろう。日常の中で生き生きと息づく端緒を垣間見ることが出来たと言えるのではないだろうか。

「響鳴し合いたいのは、何か?、誰となのか?」

分かり始めた。

LAKURA

→ Panorama

2009年春。山下邸修復中、丁度、十畳間で壁に漆喰を塗っていたその時、一台の白いワンボックスが、通りを下って行った。私は、それを目の端で捉えて見送った。作業に没頭していたはずの私には、目の端であれ、特にその車を見送る理由など何も無かった。

一転、「ギューン!」と轟音を立て、その車が、バックで戻って来た。
「ここ、何ですか〜?」
何時の間にか、玄関に立った女性が、そう言った。
「修復中なんです。」
「何になるんでしょうか〜?」
そう言っている間に、既に女性はなかを覗き込んでいる。
「私、鳥居はゆきって言います。」その女性は、言った。

それから、幾度か、お子さんやご主人、お友達と一緒に来られた。「この縁側で、お酒飲みた〜い。」来られる度に、そう言われたからよっぽど気に入っておられたのだろう。

一年後の2010年6月、ご主人の坂口氏よりお電話があり、築九十年になる煉瓦の蔵を訪れた。「ここ、イイでしょう!新しい店にと思っています。」「通りがかりに偶然出会って、大家さんにも直ぐにお会い出来たんです。どう思います?ここ?」お二人の目が、「さあさあ!」と背中を叩くようにキラキラと輝いた。

夏、私たちは、煉瓦の蔵と付随する家屋を改修した。9月には、洋服を中心にしたセレクトショップとカフェ「LAKURA-分室」としてオープンすることを目指した。私は、主に煉瓦の蔵部分を担当させて頂き、壁土を落とし、新たな漆喰を塗り、彫刻をし、特性の鏡を据え、空間を構築する様々な手立てを尽くした。又、改修完成-開店後、「ORIGIN」と題して展覧もさせて頂いた。

以降も、断熱工事、デッキ付設、薪収集等、様々なことをさせて頂いた。しかし、現在は、それらは、ごく些細なことに過ぎなかったと考えている。ここで気付いたことは、「出逢い」ということだからだ。

出逢いは、ものであれ、ことであれ、ひとであれ、貴重だ。その貴重さは、計ることは出来ない。たとえそれが、どんなにささやかな出逢いであっても、どれだけの深みを持つか、どれだけの成長を遂げるのか奏でてみなくては、なにもわからない。

私にとっては、山下邸から始まる出逢いの連鎖は、新鮮で濃密なたくさんの方々との出逢いに溢れている。その連鎖は、旧知の友人との再会にも繋がり、現在も続いている。きっと、それは、誰にでもあることだろう。私のみに特別なことではない。

そして、重ねて思う。
その出逢いを信じる。

一粒の木の実を大切に噛み締め、惜しみ惜しみ味わうように、信じることの向こうに、出逢いの実りはあるのだろう。その貴重さを忘れて終わないかぎり。

樹は茂り、森となる。
独りで茂ることは出来ない。

ORIGIN – はじまり –

→ Panorama

場所:楽蔵(分室)
期間:2011年01月07日(金)~31日(月)までの金、土、日、月曜日
時間:12時~18時
電話:011-563-1109
住所:札幌市中央区南4西9-1009-3(大正製薬、真裏)

この展覧は、「人間の起源」を基調底音としている。また、会場である「楽蔵(分室)」の始まりと、私の個人的な歩みを重ね合わせ、タイトルとした。展示内容は、彫刻と絵画、PANORAMA(横谷恵二氏制作)による。

築約100年のレンガの蔵を改修したいとのお話しを楽蔵オーナーの坂口ご夫妻から伺ったのは、今年(2010年)の6月のことだ。札幌 – 旭ヶ丘 – 山下邸での仕事(2008年夏~2009年冬)を当初から見て、共感して頂いたからだ。

8月、暑い夏いっぱいをかけて、ご夫妻と共に、工事を行った。私は、主に蔵部分を担当し、復元方向に改修を行い、新たな漆喰の壁一面と巨大な鏡を設営し、空間の要とした。

漆喰壁面に彫刻したシンボルイメージは、材をスチールに変えて、外壁で泳ぎ、未来へのモニュメントとなった。歴史と共に歩んで来た建造物に新たな息吹を吹き込むことは、翻って、自分自身の足元を探ることにもなった。

昨年(2009年夏~冬)、展覧をさせて頂いた札幌 – 旭ヶ丘の山下邸では、2008年夏から約一年間、改修工事を行った。築80年の木造建築には、たくさんのものが潜んでいた。ものに宿る人の営みである。また、営みを取り巻く、様々な関わりや繋がりである。

長い時の積み重ねが生み出す、一言では、到底、言い尽くせぬ堆積。私たち一人一人の人生が、歴史の刻々を刻んでいる。また、土地そのものの特異性である風土が、私たちを形作っていく。いわば、人は歴史を彫刻し、風土は人を彫刻する。そして、歴史が次なる人を彫刻し、人は風土を彫刻する。彫刻の往還が、この地球の原理と言えるかもしれない。そのことを強烈に感じた。

山下邸での展覧を見て下さったテンポラリースペースの中森敏夫氏より「REPUBLIC」と題して、山下邸での命題をより明確に出来ないかとのオーダーがあった。

今年(2010年)、7月~8月。テンポラリースペースの改修を含めた展覧を行った。スペースを創ってこられた中森氏と仲間の方々への尊崇と未来への希望を含んだ空間の実現を目指した。また、三人の写真家 (竹本英樹氏、藤倉翼氏、横谷恵二氏)の視覚を得、山下邸の記録を通して、パーソナルな人生の積み重ねを読み込んだ。現在、テンポラリースペースでは、多くの展覧会が行われ、既に、新たな空間は、当たり前に受け入れられ、新しい歴史が刻まれている。

時空間に深くダイブすることは、個々人のパーソナルな人生を紡ぎ上げ、巨大な人類の歴史に繋がることになる。また、地域を越えた地球規模の関わりを実感出来る。それは、どうやら、未来を見ることに繋がりそうだ。大切な方向を見い出せたようだ。

現在、これまでの経験から、見い出した、新たなDIVEと言う手立てを実行しつつ、たくさんの仲間と共に、来春(2011年)3月末からの札幌市役所ロビーでの展示を準備している。また、北海道 – 留寿都では、より広く、長期に渡る構想を実行しつつある。

今回の展覧「ORIGIN – はじまり – 」では、これまでの道のりから、より根源的な命題にフォーカスした。時と空間を突き抜けて存在の意味に迫ることが、彫刻の使命だからだ。

今、ここに存在する自分たち人間を、如何に普遍性の中で捉え得るのか。

あらゆるジャンルの最先端が、それを問うている。
新たな一歩を踏み出すのは、常に、今、ここからなのだ。

THIS IS IT.

この3年間、たくさんの方々からの応援と御協力を頂きました。
誠にありがとうございます。
深く深く、御礼申し上げます。
おかげさまで、新たなスタートラインを見いだすことが出来ました。
今後も、怠ることなく、前進致します。
御教授、御鞭撻の程、何卒、よろしくお願い申し上げます。

唐牛 幸史

リパブリック展

近代前夜。
勝海舟は、若者たちに向かい、こう言った。
これから、オレたちは、ニッポンジンとして、世界の国々と対等に渡り合う!
オメエラは、その最初の船出をすることになる!
近代は日本人が西洋と、余儀なく出逢い、変わらざるをえない大きな節目だった。
その時、日本人は良質な日本と西洋を混ぜ合せ、新しい国創りの夢と希望を持った。

時代がいつであれ、場所がどこであれ、夢と希望があることに変わりはない。
待ったなしの毎日には、一片の理想が欠かせない。
前に進むためには、美しきものの導きへ顔を向けたい。

未来はボクラのあしもとをシッカリ踏み締めたところから見えてくる。
ボクラが未来をつくるんだ!
船は、いつも、出ている!

唐牛幸史
竹本英樹 藤倉翼 横谷恵二

会期:2010年7月27日(火)〜 8月15日(日)
時間:11時〜19時(月曜休館)
場所:テンポラリースペース
住所:札幌市北区北16条西5丁目1-8
電話:tel.fax.011-737-5503
協賛:木工房 樹喜舍