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New Born

Panorama

芽。
芽を育てる。

ほんの小さな芽、その兆し。
この兆しを感じたとき、それを大切に育む。
それは、最初あまりに小さくて貧相かもしれない、くだらないように思えるだろう。
まったく輝きを放つわけでも、見知った何かと比べれば、どうにもならないほどくだらないように思えるだろう。それでも、それは、自分のなかから生まれ出ようとしている何かなのだ。

その芽をじっと見つめる。

たとえば、紙の上に小さな点を置く。
その点は、どのくらいの大きさだろうか。
その点は、紙のどこにあるのだろうか。
その点は、どんな形をしているのだろうか。
その点は、どんな色をしているのだろうか。
その点は、一つきりなのか。他にも点は、無いのか。いや、点ではないのかもしれない。もしかすると、そこから新たな芽が出て、線となっているのかもしれない。そしてその芽は、どの方向へと伸びていくのか。
思う。感じる。考える。工夫を重ねる。

これを楽しいとするのか、苦しいと思うのかは、人それぞれだろう。それでも、やはり根気を失わず向き合ってみる。向き合っただけ、何か確かな何かを得ることが出来る。そう確信する。信じる。誰も、「そうだな。」と同意しないだろう。それを否定しない。戦う必要もない。べつに強くなる必要もない、ただ、「駄目だ」と思う必要は無い。

それは、何かなのだ。
それは、確実に自分のなかから生まれ出ようとしている何かなのだ。
その何かは、今この時点では、この自分をしか頼りにできない。

そうして、多くの小さな素描を描いた。
それは、やがて千を越えて、紙の外に出ていきたがった。
外で現実の中で自立するには、またたくさんの養分を必要とする。そしてなにより信じてくれることをこそを求めている。

あえて、「どんなこともそうなのだ。」と言おう。
どんな分野であっても、共通するこの芽が出てくる兆し、これを大切に育む時期がある。
この時間を過ごしていない者などいない。
誰もいない。

芽。
芽を育てる。

この指先にごま粒ほどの点を置く。

指先に、小さなゴマ粒ほどの点が現れるほど、思い、感じ、それを空に浮かべる。
思いの密度がスケールを決める。
それは、一人では、絶対に出来ない。
たくさんの人の思いの末にかたちを成す。
ほとんどは、長い年月を要した。
いつも、空中に雲散霧消するかもしれぬ瞬間を通り抜けてきた。
いくつもの偶然も重なった。
諦めそうにもなった。
そんなときほど、新たな発見があった。
そのことが、前進の重要な機会ともなった。

そんな風にして作品のひとつひとつは実現した。

それらは、人と共にあることを願って、そこにある。
その思いがある限り、それらはそこにあり続けるだろう。
そしてこれからも、ひとつ、ひとつ、実現させてゆく。

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