DIVE 2

「こいつ、ファインだろう。」
私には、中森敏夫氏が言った言葉が、すぐには、理解出来なかった。
「?」
「クマガイだよ。」
「?」

札幌市中央区、北海道大学医学部のはずれを斜めに西へ入ると、すぐに中森敏夫氏主宰のcon. TEMPORARY SPACEがある。東京都-目黒区立美術館の正木基氏より突然のメールがあり、私に中森氏に会うことを勧めて下さったのは、数日前のことだった。メキシコでの私の足跡から辿って、蜘蛛の糸よりも細い線を繋いで私を発見して下さったのだ。それは、近所の道ばたを散歩中に、宇宙人に「やあ!」と挨拶された様な時空間を超えた摩訶不思議な気軽さに溢れていた。

京都にいた私は、心を決め、札幌への旅に出た。2009年春のことだ。前年秋から札幌-旭ヶ丘の山下邸の改修工事を少しづつ進めてはいたが、それは、個人的なリハビリに過ぎなかった。

「よー。カロウジ。しばらくだな。」と軽く手を上げると早速、中森氏は、時計台の鐘の音から始まる歌を聞かせて下さった。氏とは、美術家-川俣正氏のプロジェクト「テトラハウス」から、約28年ぶりの再会だった。「そう言えば、正木さんともテトラハウス以来だったな〜。」メビウスの輪が繋がる様に、繋がり難い帯が、いとも簡単に結び付いて行く。平然と予想外の景色が、目の前に広がって行く。速度が増し始める感覚があった。

「「この道」だ。アヤっていうのが歌っているんだ。この子、ツバサが気にいっているんだ。どうだ。いいだろう。」ひとしきり「この道」から近・現代についての話をされた中森氏は、時計台の花壇に地の草花を植えている男がいると話し始めた。それが熊谷直樹氏だった。中森氏は、ジャケットの下のTシャツを心底嬉しそうに示して笑った。

「熊谷が、作ってくれたんだ。ファインだろう。」そう繰り返すと、「コーヒーを入れてやりたいが、水がないんだ。汲みに行こう。」大きな水タンクを抱えて来た。一方的な始まりだったが、戸惑いはなかった。

その年の秋、十月の良く晴れた日。「横谷恵二と申します。」と名乗る人物が山下邸に現れた。髭顔に完全防寒装備の氏は、たった今、極寒の北極圏から生還した冒険家の様だった。「中森さんのところで、ツバサさんに伺って…。」横谷氏は、そう言うと、玄関先に立ったまま、突然、パノラマ映像の説明と目的を話し始めた。手渡されたカードには、「PANORAMA JOURNEY」と書かれている。氏の説明を聞いても、その時の私には、「パノラマ」というものを、皆目理解することが出来なかった。心の中に巨大な疑問符「?」が拡がった。

私は、山下邸の改修を初夏に終え、作品を設営していた。この家をよりオープンにして、可能性を引き出したいと思ったのだ。しかし、突然、持ち主の山下トヨ氏が亡くなり、家は、解体されることが決まった。横谷氏が現れたのは、そんな矢先だった。私は、フリーのパソコンをICC(インタークロスメディアセンター)に見付け出し、「PANORAMA JOURNEY」を開いた。

「ナンナンダ?コレハ?」
目眩を伴う驚きがあった。
理解を超える知覚の拡がりを強烈に覚えた。
「宇宙人が、現れた。」
携帯電話を取り、山下邸の「パノラマ」での撮影をお願いした。

時には、理屈では説明の付かない出逢いに遭遇して、整理の付け様がないまま物事が進んで行くことがある。それは、不慮の事故の様に、大きな悲劇を起こすこともある。出逢いが、善きものであるのか?悪しきものであるのか?それは、誰にもわからない。

ただ、こう思っている。
生まれた渦を止めることはすまい。この渦をぐるぐると回す棒をより大きく、強く回し続けよう。今、ここにあることの意味など、到底分かりはしないのだ。行き着く先には、誰も見たことのない風景が、広がっているはずだ。

「渦が、起こり始めた。」
そのことを実感出来ることは、極々、稀なことだ。

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