対話

ある時、イギリスの彫刻家、デビッド・ナッシュが、若い作家に質問されたそうだ。「あなたの作品は、とてもオリジナリティーに溢れていますが、それは、何故ですか?どうすればあなたのようなユニークな作品が、作れるのでしょうか?」

氏は、こう答えたそうだ。
「私は、オリジンに向かって仕事をしています。誰かと比べて、珍しいことをしようとか、奇妙なものを作ろうとは、思っていません。結果として、誰とも比べることの出来ない仕事をすることになっているのでしょう。」

この話を伺って、納得するものがあった。重ねて、私の大学時代の教授-彫刻家-高橋清先生とのことを思い出した。先生と私は、仲の良い師弟関係であったとは、言えない。しかし、これ程、毎日の対話を欠かさぬ師弟もなかったと思う。それは、毎日、濃厚な特別講義を受けていたとも言えるだろう。

私が、木彫室で作品に向かっていると、先生が、現れ、「お茶でもどうですか。唐牛君。」とお誘いがある。私は、「はい。」と答えて、先生の部屋に伺う。上等な玉露を頂き、唇を湿らせると、質問のかたちでお話しが、始まる。「ディエゴ*リベラとイサムノグチがね、殺し合いをしたんだ。知っていますか?」シケイロスから聞いたという話が導入になる。ノンアルコールで、いきなり、ギアをトップまで上げ、フルスロッルのドライビングだ。先ず、出発点からして唐突で、理解が出来ない?何処にたどり着くのか?ゴールが、皆目、想像出来ない。

お話しの内容は、主に宇宙や人間、宗教、哲学、愛の問題、世界の話題と多伎に渡り、直接的には、美術や芸術の話題はごく僅かだ。彫刻という単語は、ほぼ登場しない。登場人物も時代や国を跨がっている。現代史上の人物から先生が、直接伺ったことも多く、誰が飛び出て来るのか予測不可能だ。当然、話題は、ジャンルの枠に収まらない。

先生が言われていたことに、こんな言葉がある。
「芸術家とは、どんな人間とも対話の出来る存在だ。それは、一国の王であれ、路傍の乞食であれ、なんら変わることが無い。」先生の実体験から、飛び出て来る言葉には、受け止めがたい熱量がある。体験のスケールが違い過ぎるのだ。後年、先生が、長く住んでおられたメキシコに行き、先生の言葉のリアリティを噛み締めることになったが、それでも、想像の範疇を出ることが出来ない。

対話を重ねては、辞書をひく。図書館で、調べる。歌や曲は、レコード屋さんで、試聴させて頂く。それでもわからぬことは、頭を下げて聞いて廻る。対話の復習を欠かすと、暗闇を無灯火で疾走するようなものだ。

知識は、足で稼ぐしかない。
歩く中に、宝が輝くこともある。

東京や京都での、新旧、分野を問わぬ作品の鑑賞も欠かせない。実際に本物を見た人に、作品の甘美さ、セクシーさについて語られても、知識や理屈では到底会話が成り立たない。直接見て、触れる以外に近道など無いのだ。対話とも言えぬ対話は、在学中、ほぼ毎日続いた。

40歳以上の年齢差の師との会話が、ぎりぎりで対話になり得ていたのは、いったい何故だったのか?それは、核心に迫り、見い出そうとする共通の志あってのことだったのではないか?今は、おぼろげに、そう言える。改めて今こそ、私は、あの雪深い金沢での静かな時間に立ち帰っている。

先生はよく二つの言葉を口にされた。「普遍性」と「グローバル」だ。それは、形而上的価値観と現実の上での共通認識のフィールドを指す。いずれも、人間のエッセンスを結晶化させるべき彫刻が、何を指標に仕事を進めるか。向き合うべき方向を示唆するものだ。

私たちは、ただ、ただ原点に向かって、真摯に問いかけ、探究し、答えを見い出すしかない。そこにORIGINは、あるのか?無いのか?どんな仕事も、生きている限り続く、終わりは無い。何処までも、歩みよるしかないのだ。

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