作品日記

日月山水家族図

人生は、絶妙のバランスとタイミングで進む。

最近、叔母が亡くなった。
八十八歳だった。
「だいたい帳尻が合うもんだから、ね。」
亡くなる前に遊びに行ったとき、小さないくら丼とひじきとお揚げの煮物を用意してくれて、そう言った。
その日訪ねたのは、母の老人ホームでの面会が叶ったからで、そのときの元気な様子の写真を見せたかったからだ。
母は立つことも出来たし、僕を忘れてもいなかった。
一年ぶりだというのに。
叔母は、ずいぶん喜んで、来週、一緒に会いに行こうということになった。
それから、電気のスイッチカバーを変えて欲しいと言ったので、即、ホームセンターに行って交換した。
その時、二階に行ったり、降りて来たりで計4箇所をその場に行って示してくれた。
元気だった。
お駄賃に、コーヒーと芋餅を用意してくれたので、ひとしきり話をして帰った。
亡くなったのは、それから二日してからだった。

「見事だなぁ〜。」今はそう思う。

叔母と母は、絶妙の姉妹だったと思う。
文句が絶えなかったのは、言いたいことを言い合うからだ。
早くに母親を亡くしたこの姉妹は、けっして順風満帆の人生ではなかった。
まあ、この時代、誰もがそうだったのだろうが、いつだって、自分の人生は自分自身が当事者だ。
誰とも、比べることなど出来ない。

叔母にも、母にもいろいろあったのだ。

母にしても、今、認知症で老人ホームに入っているが、ホームにいるおかげで、世間のコロナ騒ぎも知らず、かつて自分にあった悪いことなどもすっかり忘れて、良いことばかり覚えている。
とても幸せだ。
性格も、はしかいほうだし、テレビも新聞もよく見る方だから、もし家にいたら心配でたまらず、たいへんな大騒ぎだったろう。
老人ホームでは、自分にあった悪いことばかり話ている方もいる。
認知症だから、自分が話したことも忘れて、繰り返し同じことを話している。
母が、悪いことを忘れてしまって、頭の中が良いことばかりにになっているのは、認知症のおかげだ。
認知症にも良い面があるのだ。

ほんとうにおかげさまだ。

きっと、誰にとっても、このコロナ騒ぎにもおかげさまなところがあるだろう。

仏教では、因果応報の話をする。
因果応報とは、良いことをすると良いことがあり、悪いことをすると悪いことがある、そのことによって魂が成長するそうで、輪廻転生とセットの考え方だ。
輪廻転生するなかで、因果応報を通して人間の魂は学んで、磨かれるそうだ。

僕も叔母も思うのだが、いろいろな人を見ていると輪廻転生などする以前に、今生で因果応報的なことは起こってくるようだ。
まあ、いわゆる「天の恵み!」とか「バチが当たる。」ってぇやつだ。
過去生だとか、現世とか来世とか、そんなに悠長な話でもないようだ。
きっと、生きているなら、なんでも良く受け取って、出来るだけ良い行いをした方が良いだろうということなんだろう。

だから「帳尻が合うもんだから、ね。」なのだ。

実は、人生には、良いことも悪いこともなくて、人間というのは、ただいろいろと体験したいだけなんだそうだ。
自分が望むなら、試しに人殺しだってやってみたらよいのだ。
ただ結果としては酷いことにはなるだろう。

お茶の先生をしていた叔母からは、仏教的なことを普通のことばで教えてもらった気がする。

自分が小さく思えることでも、大きな宇宙のなかでの出来事で、その小さなことの積み重なりが宇宙をかたちづくっているのだ。
また、大きな宇宙の中にいる自分は、その中で生かされている。
この大きな宇宙あってこその自分なのだから、いつも感謝の気持ちを忘れるんじゃないよっていうことを小さな頃から教えてもらったなぁ〜と、いささか抹香臭いけども、僕は心底思っているんだな〜、これで、さ。

日月山水家族図

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