飛猿想念図

古澤良治郎さんの像をつくっていた頃、川村年勝さんと一緒 にさまざまな方達にお会いした。

「こういう人を、仙人というのかもな〜。」

偶然なのか?必然なのか?よくわからない。
常識が壊れだしていった。

八剣山で、丸太の塔を建てていた本間さんは、一人で山を崩して、道を作り、山でころ合いの木を選んで倒し、下ろして、それを塔に建てていた。
僕は、それをはじめの方から見ていたけれども、途中まで、何をしているのか、全くわからかった。
淡々と苦もなく、一人でやっておられるので、自分の理解が追いつかないのだ。
出来上がった塔は、地下のパイプラインなどを点検するためのカメラ開発の実験に使われるのだそうで、これまた全く予想がつかなかった。
このカメラは、原子力廃棄物処分場の地盤などの地質調査などに使われるそうだ。
素朴な丸太の塔の様(素朴といったって、巨大は巨大だ。)と最先端のカメラ開発が結びつかない。
意外過ぎて、だんだんと何が出て来ても怖くなくなる。
感覚が揺すぶられて、おかしくなっているのだろう。
本間さんは、かつて庭師をされていたそうだ。
石を滝に組むのが得意だそうで、僕は「庭と滝」が結びつかず、これまた想像が追いつかなかった。
だいたい、自分の家の庭に滝を作りたいと望む方が、実際におられること自体が自分の許容範囲を遥かに超えていて、想像出来ない。
それに応えることに得意な人が、実際に目の前にいるのだ。

呆れ過ぎて「それはどのくらいの金額で…。」と聞くのも忘れてしまった。

夕張の建設用重機のレンタル屋さんの柳沼さんは、背中にエンジン付きのプロペラを背負ってパラグライダーで空を飛んでいた。
何度も落ちたそうだ。

空から落ちる!

他にも、大きな1000ccのハーレーのバイクにも乗っておられるそうで、失礼な言い方だとは思うが、そのヨボヨボさ加減からは、到底予測がつかなかった。
ずいぶんお年を召されていたのだ。

人間、なんでも出来るんだなぁ〜と感動した。

柳沼さんにお会いしたのは、彫刻の台座用に石を頂こうとお会いしたのだが、「なんでもしたらいい。」とプランを説明する前に、全肯定だった。
柳沼さんの石置き場にあるのは、どうやって運んだらいいのだろうというような巨石ばかりで、「どうやって運ばれたのですか?」と質問すると「どうやってだったかな〜?」と巨石を運ぶことは、武勇伝ですらない。
スケールが違い過ぎている。
結局、僕は、自分で運べそうなくらいの石を見ている。
そのこと自体が自分自身の限界を示していることに気付いて、赤面する。

つくづく「北海道だな〜。」と感心して、小金湯の渡辺さんに話したら、「そうなんや、そんなんは、怪物言うんやろな。そういう人がおるんやわ。ようけはおらんけど。」と言われた。
その渡辺さんご自身は、広大な土地を北海道特有の生態系で満たそうとしている。
例えば、この冬は、オジロワシを餌付けしていたが、オジロワシの群生しているのなんて、見たこともなかった。
谷間の木々の枝に、わっさ、わっさと羽音が響いて怖いくらいだった。

僕など、こういう人たちの前では、とても「芸術家です。」だとか、「アーティストです。」だとか、恥ずかしく口に出せない。
こういう方は、何屋だとか、何をしているということは、一切説明がない。
そんなことは表面的なことで、むしろこちらが気付いただけのことが開かれる。

「なんのために?」と尋ねても、首をひねられるばかりで、わかりやすい応えは無い。

自分自身の限界を知って置き去りにされると、しょんぼりするものだ。

それでも、だ。

よーし、がんばろー。

と立ち上がる。

飛猿想念図

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