作品日記

やさしいこころ つよいからだ・2

その谷間には、ずいぶんと幼い頃に来ていたことがあった。

幼稚園があるのは、月寒から西岡に向かう丘陵地で、かつてそこは、牧場や牧草地など農地が広がっていた。
半世紀ほど前には、羊ヶ丘とは連続した牧場地帯だった。

川が流れて、たしかその頃には小さな湧き水があり、池もあったはずだ。
姫リンゴの木もあった。
グズベリ、ハダンキョウ、カリンズ、スモモと季節になると食べられる実がなった。
水を飲んで、実を食べていると一日、家に戻らず遊んでいられた。
りんごも栗の木もあったが、さすがに、立派で、袋も掛かって、それらには手を出さなかった。
お花も咲いて、天国のような場所だった。

僕の家からは、丘を二つほど越えたところにあって、谷間だから家からは、全く見えない。
「わんぱく小僧」(古い言葉だけれども。)には、絶好の遊び場だったのだ。

あのとき、ここで畑仕事をしていたオヤジさんが園長先生だったのかもしれない。
幼稚園をされる前は、ここはりんご園をされたり、お花をされたりと農業をされていたそうだ。

お話をうかがって、「じゃあ、このメモのある設置場所に行ってみませんか?」と、みなさんと行ってみた。

そこは、幼稚園の遊び場的な栗の木山になっており、中腹に遊具があった。
「どうもこのメモ、けっこう細かいところまで書かれているようだぞ。」
ちょうど、大人が三人手を繋いで立つことの出来るちょうど良い平地があった。
栗の木の幼木が植えられて、桜の木まである。
園長先生は、もうずいぶん前から、ここを予定して、整えられていたのだ。

「おおっ〜。」
「へ〜っ。」
「気づかなかったなぁ〜。」
と声がもれた。

「ということは、ここなのかな〜?」と少し太めの男性が言う。

「そうかもしれませんね。幼稚園からも見えるし、あそこの施設からも見えるようですから。」
先生は、幼稚園の子供達にも若い先生達にも、いつも見えるような位置に像を置こうと考えていたのだ。
それだけメッセージを伝えたいと望まれていたようだ。
ここが、園長先生がここだと指定されていた場所のようだった。
「って言うか、先生、ご自分でやろうとしたんじゃない?もう、し始めているし。」古参の先生が言われた。
「この像は、自分の名誉栄達を誇るものではないって、園長先生がおっしゃっていました。」安倍先生がおっしゃる。

園長先生は、コツコツと御自身でつくられようとされたのか、場所を決めて、木を植えて、像について考え、伝えたいメッセージを言葉にされてこられたようだった。
どうも、ここに、像を立てようとしたのは、ただの思いつきではなかったようだ。

お話をうかがうと、先生には、ご兄弟がおられて、その方が、農業を継がれることになっていたそうだ。では、と、ご自分は学問をしようと努力されていたようで、そのことは、幼稚園をされたことで、幼児教育に向かうなか、やがて子供達に表れてくる。

開花したのだ。

この幼稚園出身のお子さんは、体つきが良く、礼儀がしっかりと身についているそうだ。

それは、近所の小学校でも評判になっていた。

子供達を野菜を育てる農業の眼差しで幼児教育に携わっておられたのだ。

幾人かこの幼稚園出身の方に、お話をうかがった。
「冬に氷の滑り台をつくってくれて、それが楽しいから、雪の斜面を登っては滑り、登っては滑りを繰り返していたなぁ〜。小さいさんには、譲るのがきまりで、怖がっている子は、一緒に滑ってあげて。」

いわば、少し前のガキ大将がいる頃を基本に、こころとからだを育むことをされていたのだ。

「だから、やさしいこころ つよいからだ なんだ。」
得心した。

言葉は、石に彫ってはどうだろうか?

立て看板だと、何でつくってもブロンズほどはもつことはないだろう。
木にしても、金属でつくるにしても数年ごとにメンテナンスが必要になるし、また交換ということにもなる。
それには、たびたび費用がかかる。
そこだけは、提案させて頂いて、他はメモを主体に一度考えさせて頂くことにして、具体的な習作を通して、提案させて頂くことにした。

お話をうかがうことを通して、園長先生の意志やお気持ちがわかってきたことで、集まっておられた方達もどこか高揚された気持ちになられたようだった。

つづく

園長先生
園長先生
園長先生と子供達
園長先生と子供達
像設置場所の確認
像設置場所の確認

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