小さな習作を重ねて、お客さんも、自分も納得したところを見出してゆく。
僕の制作では、デッサンをしたり、取材資料を整理したり、また現場に戻ったり、インタビューや調査を重ね、繰り返して焦点を合わせてゆく。
人間は、一人一人が異なった個性を持っていておもしろい。
誰かは、誰かから見て、みんな異なって見えている。
また、一人の人間を表そうとすると異なる多面性をあらわにしてゆくことになる。
外見は、とても大切だけれど、外見だけではわからない面も見えてくる。
ここが具象彫刻のおもしろいところかもしれない。
僕はひどく不器用だから、こんな風にしてしか歩み寄ることが出来ない。
先生の写真資料は、極端に少なく、子供達の写真もビデオも山ほど残されているが、園長先生の写真は数えるほどしか見つからなかった。
だから、暗闇で、目をつぶって歩くように近づいて行く。
文章も無く、声もほとんど残っていない。
内面を推し量る資料が無い。
無愛想ではないが、寡黙な方だったようだ。
子供達は、「バスの中では、冗談ばっかり言っておもしろい!」と言うのだから、見せている面が多様なのだろう。
「先生は、大きな口を開けて、アハハッと笑っていた。」という証言から、笑顔の頭像をつくった。
それを「耳が先生にそっくり!」と若手の先生の発言あたりから、ググッと近づいていった。
耳がそっくり!というあたり、「そこを見ていたんだ。」と僕には、そのことがセクシーに感じた。
メモに残された帽子は、麦わら帽子だったようで、麦わら帽子をかぶせた。
インタビューから、草取りをよくしていて、いつも、その姿でおられたようだったからだ。
毎年、近所のホームセンターで買われていた。
奥様は、背広で立派なご主人のお姿を望まれたが、メモでは、どうも違う。
園長先生が望まれていたらしい方に寄って行く。
娘さんや働かれている先生達にインタビューを重ねて、それらの証言を集めて、園長先生のメモを読み込んでゆく。
像は、男の子と女の子に違いないと結論するのにも、けっこう時間がかかった。
二体しかつくらないにしても、必然の結論を見出す。
先生も子供達も裸足にしたのは、大地に立っていることを象徴さねばならないという判断からだった。
なぜかといえば、先生の出自は、どうしても農業だったし、日常、草取りをし続けていたこともそこに根があるのだろう。子供達をくりのみ山で、走らせたり、氷の滑り台で楽しませつつ鍛えていたこともあり、大地との結びつきを裸足で表すことにした。
全体的に方向性を未来に向かって元気よく走って行くようにした。
園長先生が、子供達を送り出すように、遠くに行っても振り返ると、明るく灯台のように光って、そこにあるようにかたちを探っていった。
言葉を刻む石は、定山渓の初心い大きなたま石にした。
今までどこにも使われていなかった石で、かつまた子供達が遊具のように登ったり、石の上を遊び場として活用出来るよう広めのものを選んだ。
親戚の方が、書をされているということで、石に刻む文字は、その方にお願いした。
文字の彫刻は、溝口石材の会長さんが、現場まで来てくださり彫ってくださった。
石に彫られた文字は、子供達が初めて触れる文字になるだろう。
遊びのなかで言葉がからだに染み込んでゆく。
園長先生は、それをご希望だったのではなかったのではないだろうか?
「へ〜、こうなるんだ〜。」
粘土原型を見られて、受け元の社長さんがおっしゃった。
十一月末、降り始めた雪に追いかけられるように、やっと石膏取りを始められた。
アシストを同級生の上村にお願いした。
日々、凍り付く水仕事によく耐えてくれた。
一緒に作業をしてくれただけでもありがたかった。
感謝だ。
ありがとう〜❣️
つづく