2009年からの北海道での三年半の活動をまとめてみました。
私にとって、この期間は、自らの全人間としての建て直しの時間であり、また、彫刻を根本から考え直した時間でした。彫刻を進めることで、新たな出逢いがあり、前進する意欲に繋がりました。取り分け、多くの方々との協働によって、新たな創造に繋がったことは、貴重なことでした。その点から、この記録は、私個人のものではないと考えています。そして、十代に志した彫刻と自分が、何処までも一体であることを、改めて強く感じました。
ご覧頂ければ幸いです。
「社会彫刻」とドイツのアーティスト-ボイスが言った時、私たちが、築きつつある社会そのものが、人間の創造する巨大な作品であるように感じました。いわゆるオブジェクトとしての「彫刻」は、一人の手でも生み出すことが出来ます。歴史上、栄え滅んだ文明も遺されたオブジェクトを頼りに推察されます。
ただ、社会は、かたちとして残らない様々な要素が入り混じり、織り成された複雑な織物のようなものです。加えて、流動性と重層性を持ちますから、オーケストラによって奏でられる交響曲に例えるべきかもしれません。つまり、人の営む社会の諸要素が、しっかりと結び付き、役割りを果たす状況の創造が人類としての志向性だと言えます。
家族、地域、国家、国際社会と枠組みは大きく成って行きますが、根元に於いては、始まりを同じくしています。それを人類史と地球という規模で「彫刻」という捉え方によって探究してみようというのが、私の考える「彫刻」ということになりそうです。
加えるなら、オブジェクトとしての彫刻のリアリティの立ち上がりも其処に強く感じます。より一層の研鑽の必要を肝に命じるばかりです。
「PANORAMA」と言った時、私は、知覚が、全展開することを思います。
「全方位的に知覚を開く。」
私たちが、社会を創造するとは、私たち一人一人の意識を開いて、ものごとの真をしっかりと見詰めることから始まるのではないでしょうか。そうした上で、一人一人の意識が結び付き、織り成す。その時に初めて、これからの社会を「彫刻」し始めることが出来るのかもしれません。そんなふうに考え始めています。
「それは、理想だ。」と言われることもあるでしょう。しかし、その時は、「だからこそ、芸術なのだ。理想のない芸術に意味があるでしょうか。」と強く言うことになるでしょう。突破する力。其れが其処に有ると信じるからです。
今、この時代に、大きな災害を経て、尚更に思わざる負えません。
この記録は、横谷恵二氏のパノラマ映像を基調にネット上に構築したものです。私の作品の展開するなかでの特性上、空間と時間、そして人との繋がりを重視するようになってきました。具体的には、建築物の持つ空間性と歴史性、そして、人が織り成す関係性ということです。これらの複合性と重層性を如何に提示出来るか。横谷氏のパノラマは、こうした問題への最上の解決方法であるように考えています。
この資料では、横谷氏の美学とユーモアが遺憾なく発揮されています。隠された秘密が、細部に渡って配されて、宝探しの魅力もあるでしょう。また、参加された方々の個性的な魅力のオーケストレーションも感じられることでしょう。氏のパノラマ映像に最も特徴的なことは、展開する空間の中で、人が暖かく息づいていることです。じっくりと味わえる映像なのです。どうぞ、文中の写真をクリックして下さい。パノラマ映像の世界が広がっています。また、氏の「panorama journey」を検索してみて下さい。そこで、氏の施した罠を幾つ見破れるでしょうか?お楽しみに。
m(_ _)m。