日記

いのちの粒子 〜 Particles of Life

何年前のことだったろう。

友人の個展で、札幌の時計台ギャラリーを訪れた時、突然、小説家の荒巻義男さんから、話しかけて頂いた。

「僕は、言語による表現は、いろいろと実験してきましたから、次に生まれ変わるときには、造形言語を研究したいんです。それも抽象をね。だから、絵が描きたい。画廊をやって、みんなのを見せてもらって、今度は、必ずそうしようと思います。」初対面で、突然言われて、しばし呆然とした。
それは、急に話しかけられたせいでもあったが、その頃、ずっと何年も「かたち」もある種の言語で、如何にすれば、その言語を確かに表すことが出来るだろうかという考えにふけっていたことも驚いた理由のひとつだった。

造形を言語だと考えると抽象や具象という形態の垣根は、全く無くなるだろうし、個々人の壁を飛び越えて、対話が出来るのではないか。実際に、現実の中に存在している性質を持つ彫刻の役割とは、実体をこの現実の中に成立させて、人間が、根源的、本質的な問題について時代も地域も越えて、語り合い、伝え合う共通の言語であるに違いない。それは遠大な無言の対話であるが。
加えて、荒巻さんは、輪廻転生のこともさらりと言われているのだ。
この短い言葉の中には、とてつもなく凝縮された内容が詰まっていた。

荒巻義男さんは、続けてこう言われた。
「どうも、生命の本質ともいうべき、魂の粒子が観察されているというのが、世界中で、ささやき始められている事実なのです。」
それに衝撃的に驚いた私は、そのとき、「いつまでも感傷に浸っていないで、しっかり彫刻に励みなさい。あなたには、あなたの取り組むべき問題があるだろう。」という声を聞く思いがした。

隣で見ていた友人は、「ずいぶんとお年だから、よくわからないことを言われてるようで〜…。」と言ってくれた。しかし、僕にとっては、問題の核心を示唆されているように思えてならなかった。

もう二十年以上もまえのことだが、もう一つのことがあった。
気がつくと荒巻さんのお話は、この方のお話とつながっている。

それは、ふとしたきっかけから、ニューヨークで、美術家の荒川修作さんとお会いする機会を得たことだ。

16歳の時に、発売されたばかりの「意味のメカニズム」という著作を見てから、著者である荒川修作さんに、お会いしたいと思い続けていた。
荒川さんは、絵画だとおっしゃっているが、図柄でも形態でもないことを表そうとしている。彫刻や絵画という美術的な表し方を通して、本質的な問題について対話をしたい。そうお考えなのではないだろうか?というのが、著作「意味のメカニズム」への僕なりの感想だった。当然、その頃、内容自体については、まだ子供の自分にとって、よく理解出来ないものばかりだったが、強烈に、それまでの美術とは、全く異なったものを示されているという感じがしていた。

お会いしたとき、荒川さんは言われていた。
「世界中の辞書から、「魂」という言葉を無くしたい。」
当時、「Sculpture Body」というテーマで、建築や都市構想をされていた荒川修作さんのお仕事は、人間の肉体と精神は、分かちがたいのだから、肉体を、極限の状況にさらすことで、精神の有り様が明確になるのではないかということのように受け取れた。建築や都市に思考が向かっておられるのは、僕らが、それを常として生きていることを指している。それは、そうすることによって、現在の生活の中に、釈迦のされた苦行体験を持ち込むということに近いのではないだろうか?。日常、住み、暮らしている中で、自分自身の「魂」の存在を顕在化、意識化しようということなのだろう。
当時、ニューヨークのナショナルギャラリーで、行われていた展覧会のタイトルが、「We decided not to die.」だから、「私達は、死なない!」というものだろう。とても強い表現になっている。だから、この言葉使いには、強いメッセージ性がある。
死なないとは、つまり、生命には魂ともいうべき、本質があって、肉体自体は滅びても、無くならないものがある。それが魂で、生命の本質だ。それは、永遠不滅で、無くなったりしない。つまり、人間は本質的には、死んだりしない。ということを言われているのだろう。

それは「魂」という、今まで確かな手掛かりの無い言葉とされいたその本質を、誰もが、当たり前に認識出来るようにしてゆこうという意欲の現れが、「世界中の辞書から、「魂」という言葉を無くしたい。」という言葉になったと思う。

時を経て、それが、今、現在、素粒子研究の進展に伴って、具体的に「粒子」として観察され始めているということを荒巻さんは言われているのだ。観測されているということは、一般化に向かう糸口が見えてきたことを示唆している。

いずれ、「魂」や「生命」そのものが、生命の本質だ。誰もがそうに決まっていると言い出す日が来るのかもしれない。

徐々に、自分の人生に示されるパズルのピースが揃ってき始めたように思う。

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